平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂がある宇治は、宇治川を望む景勝地で平安時代初期から貴族の別荘地でした。宇治の語源は内(うち)と外の境界であり、現世と異界の境界を意味することから古墳が多く、また平安時代には別荘が多く建てられていました。
光源氏のモデルの一人といわれる嵯峨天皇の皇子・源融は宇治に「宇治院」と呼ぶ別荘を建て、長徳4年(998年)に摂政・藤原道長が引継ぎ別荘「宇治殿」となりました。万寿4年(1027年)に藤原道長が没すると宇治殿は長男の関白・藤原頼通に引き継がれます。
平安時代後期、日本では天皇や貴族をはじめ民衆に至るまで仏教に帰依しており、永承7年(1052年)に疫病や自然災害により人々は死に対する不安が広がり極楽浄土への憧れが生まれます。そのため天喜元年(1053年)に藤原頼通が別荘を平等院に改めました。
永承8年(1053年)には阿弥陀如来坐像を安置した阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立します。鳳凰堂と呼ばれるようになったのは江戸時代初期で正面から見た姿が、翼を広げた鳥のように見えることと、屋根上に一対の鳳凰が据えられていることに由来します。
斜め前から撮影しました
横から撮影しました
平等院鳳凰堂は建武3年(1336年)には楠木正成による放火により一部伽藍が焼失しましたが、現在は鳳凰堂と鎌倉時代再建の観音堂、鐘楼などが残ります。荒廃し幾度かの修復を経てはいますが、平安時代の貴族が建立した寺院が建物・仏像・壁画・庭園まで含めて残っているという点では唯一の史跡になります。
平等院鳳凰堂は日本を代表する平安時代の建造物であることから十円硬貨の裏面に刻印され、一万円札の裏に平等院鳳凰堂の鳳凰が印刷されています。また、平成6年(1994年)に「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
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- 住所
- 〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116
- アクセス
- JR宇治駅から徒歩10分
- 営業時間
- 8:30~17:30
- 料金
- 600円