岡山城
岡山城を築城したのは、五大老の1人である宇喜多秀家になります。天正18年(1590年)にこれまで秀家の父が作った石山城の近くに新規築城と城下町整備に着手しています。
関ヶ原の戦いのあと岡山城主となった小早川秀秋は増築を行い、さらに次の城主である池田忠継とその次の代である池田忠雄も岡山城を整備してましたが、明治時代になり大政奉還により城郭の必要性がなくなり埋め立てられ現在の天守閣等を残すまでに縮小されています。
昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年(1966年)に再建され、城主の間も復元されています。
岡山城を下から
黒塗りの岡山城天守閣が見えます
岡山城の不明門
昭和41年に再建された不明門
岡山城の城門は、二代目藩主池田忠雄の頃には32棟の城門で守られていましたが、明治維新後の廃城で石山門1棟を残すだけとなりました。空襲で天守閣・塩蔵・石山門が焼失しました。本丸跡に建っている不明門と廊下門は、天守閣と同時の再建です。
岡山城の歴史
岡山城の歴史を年表にまとめてみました。
岡山城に係る年表
- 正平年間(1346~70)
- 和長長年の一族である上神高直が築城
- 大永年間(1521~28)
- 金光備前が在城
- 天正元年(1573年)
- 宇喜多直家が時の城主金光宗高を謀殺
- 天正9年(1581年)
- 宇喜多直家が病没し秀家が家督を継ぐ
- 天正18年(1590年)
- 宇喜多秀家が本格的な築城工事に着工
- 慶長2年(1597年)
- 天守の完成で全工事を完了
- 慶長5年(1600年)
- 宇喜多秀家の所領没収し小早川秀秋が城主になる
- 慶長8年(1603年)
- 小早川秀秋が病没し池田輝政の次男忠継が入封する
- 元和元年(1615)
- 忠継没後に遺領を継いだ池田忠雄が岡山城整備の総仕上げを実施
- 明治17年(1884年)
- 岡山県に譲渡され天守や月見櫓、西の丸西手櫓などが国宝に指定
- 昭和20年(1945年)
- 空襲で焼失
- 昭和39年(1964年)
- 天守閣再建工事に着手
- 昭和41年(1966年)
- 鉄筋コンクリートでほぼおなじ外観で再建
まち旅(旅行、観光)の記録
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まち旅(旅行、観光)の記録
- 住所
- 〒700-0823 岡山県岡山市北区丸の内2丁目3−1
- アクセス
- JR岡山駅から市電「城下」下車、徒歩10分
- 営業時間
- 9:00~17:30
- 料金
- 400円