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鉄のくじら館

広島県呉市の旅行で訪れた観光名所、鉄のくじら館

てつのくじら館は海上自衛隊の資料館です。鉄のくじらとは潜水艦のことで日本で初めて実物の巨大潜水艦(全長76.2メートル)を陸上展示し内部を拝見することができます。

展示されている潜水艦は平成16年(2004年)まで実際に使われていた潜水艦「あきしお」です。日本で初めて実物の潜水艦を陸揚げされていて、潜望鏡やコクピットのほかシャワールームなど内部を見学することができます。

てつのくじら館では「潜水艦の活動」や「沿岸の掃海」などに関する歴史的な資料を通して、海上自衛隊の歴史や呉市と海上自衛隊の歴史的な関わりについて紹介しています。

掃海の歩み

日本の初めての掃海部隊は大正12年(1923年)に横須賀鎮守府に編成された第一掃海隊になり、各鎮守府に部隊が設置されていきました。

大戦末期の昭和20年(1945年)にアメリカ軍が沖縄上陸にあわせて「ストラベーション(飢餓)」作戦を実施し日本の主要港湾や海峡を機雷で封鎖し海運を麻痺させようとしました。これにより終戦までに敷設された機雷は1万2,135個にものぼり、日本軍が設置した機雷を含めると相当数の機雷が設置されていました。

このように太平洋戦争により日本の海はたくさんの機雷によって恐怖の海と化していました。戦後、このような機雷を掃海(除去)することが急務でした。

海上自衛隊と掃海業務

昭和20年の終戦により海軍省が廃止され、日本の掃海部隊はアメリカ海軍第5艦隊の指揮下にあり、復員を担う第二復員省の所管になります。翌年には旧陸軍省の第一復員省と統合し復員庁になりました。

昭和23年(1948年)に復員庁が廃止され復員事業は厚生省(現在の厚生労働省)、掃海は運輸省(現在の国土交通省)へ移管し掃海部隊はさらに5月に新設された海上保安庁に移りました。

昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発すると、北朝鮮軍が敷設したソ連製の機雷が障害となりました。この機雷を除去するため、同年、日本も掃海にあたりました。

日本国内では朝鮮に出動した連合国軍に代わり治安維持を目的とした警察予備隊が設置されます。警察予備隊は昭和27年(1952年)に設置された保安庁に移管され保安隊となり、掃海部隊は海上保安庁の海上警備隊所属でした。

昭和28年(1953年)に朝鮮戦争が休戦すると、アメリカの要請で日米相互防衛協定が結ばれます。この協定に基づいて保安隊は陸上自衛隊、海上警備隊は海上自衛隊へと姿を変えました。

日本の掃海部隊も朝鮮戦争後、日本各地で発見される大戦型機雷の処分作業を続けただけでなく、平成3年(1991年)の湾岸戦争後はペルシャ湾に派遣されて機雷の除去作業に従事しています。

まち旅(旅行、観光)の記録

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住所
〒737-0029 広島県呉市宝町5番32号
アクセス
JR呉駅から徒歩5分
営業時間
10:00〜18:00
料金
無料

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