宇和島城
宇和島城は慶長6年(1601年)に築城の名手と名高い藤堂高虎により標高約80メートルの丘陵地に築かれました。宇和島は日本屈指のリアス海岸地帯で、城はその最深部にあたる現在の市街地のほぼ中央にあります。
宇和島城の建造当初、大半が海に面する地形を巧みに活かして、城郭は上から見ると不等辺五角形をしています。これは敵に四角形の城だと錯覚させ死角をつくるための造りで、藤堂高虎の巧みな建築技術の一端が見て取れます。
家老桑折氏の屋敷門を移築したものです。
城山にある3つの井戸の一つです。
藤堂高虎が今治に転封となると奥州仙台藩主・伊達政宗の長男・伊達秀宗が宇和郡十万石を賜り、元和元年(1615年)に入城しました。2代藩主・伊達宗利は寛文元年から城の大改修に着手し、現在の天守は寛文11年(1671年)に建替えられました。
長い石階段を登って天守へ向かいます。
天守と天守石垣が一緒に見られます。
独立式層塔型三重三階の天守の規模は決して大きくはありませんが、白壁が美しく破風などの御殿建築が随所に施された優美な姿をしていて、貴重な現存12天守の一つとして宇和島市の象徴にもなっています。
別名「鶴島城」といわれる優美な姿は伊達十万石の格式を感じさせます。天守の最上階からは伊達十万石の城下町が望め、本丸の先に見える宇和島港と伊予灘の景観は海辺の城を彷彿とさせます。
現存12天守の一つです。
宇和島城内で最古の石垣です。
宇和島城は、初代伊達秀宗が元和元年(1615年)に宇和島に入城して以来、明治を迎えるまで9代(2代宗利、3代宗贇、4代村年、5代村候、6代村寿、7代宗紀、8代宗城、9代宗徳)にわたる宇和島伊達家の居城でした。
宇和島城長門丸跡にあります。
2代藩主宗利の時代の石垣です。
宇和島城には歴史的建造物も移築されています。登城口の一つ「上り立ち門」は武家の正門とされる藥井門形式の門で国内現存の薬医門では最大規模を誇ります。また城山東北側登山口にある藩老桑折氏武家長屋門は宇和島市内では数少ない武家屋敷の建造物です。
中腹にある旧山里倉は弘化2年(1845年)に三之丸に建てられた武器庫で現在は民俗資料を展示する「城山郷土館」として利用されています。また穂積家長屋門は、民法の父と言われた「穂積陳重」と憲法学者となった「穂積八束」の住居を移築したものです。
宇和島城長門丸跡にあります。
武器庫であった山里倉を使用しています。
現在は堀はすべて埋められ三之丸をはじめ総郭部分約28万平方メートルは失われてしまいましたが、本丸・二之丸などの郭を含む約10万平方メートルの丘陵部は戦前まで伊達家により保護されてきました。
昭和9年(1934年)に天守が国重要文化財、昭和12年(1937年)に丘陵全体が国史跡の指定を受けました。昭和24年(1949年)には天守を含めて丘陵全体が宇和島市に譲渡され、昭和38年に南側登城口城門の「上り立ち門」が市指定文化財(昭和38年)に指定されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒798-0060 愛媛県宇和島市丸之内
- アクセス
- JR宇和島駅から徒歩約15分
- 営業時間
- 開門:6:00~17:00(季節により異なる)
天守:9:00~16:00(季節により異なる) - 料金
- 200円(天守入場料)