卯之町伝統的建築群

卯之町はかつて宇和島藩の在郷町・宿場町として栄えていた佇まいを現代にとどめる情緒ある町並みがあります。白壁や格子窓などが特徴の江戸中期から昭和初期の建築物が軒を並べ国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
伝統的な和風建築のなかにアーチ窓や赤い屋根の教会などの洋風建築もあり時代の移り変わりの景色を楽しむことができます。また現在も江戸や明治時代から続く老舗旅館や造り酒屋、醤油屋などが営業しています。
江戸時代には宇和島藩の在郷町として栄え、二宮敬作、楠本イネらも往来した通りとして知られています。
中町通りを中心に卯之町伝統的建築群があります。
江戸時代の伝統的な木造建築が並びます。
宇和民具館
宇和民具館は江戸時代末期から昭和初期にかけて実際にこの町で使用されていた民具約6,000点を収蔵展示しています。祭り・暮らし・商いに関する昔の人々の知恵や想いを今に伝える民具の博物館です。
写真館を再現した展示室で昔の服を着て写真撮影したり、ロビーで昭和歌謡曲のレコード鑑賞、大正12年製の足踏みミシン体験をしたりと実際に触れて楽しむコーナーも充実しています。古き良き時代の懐かしさに出会えます。
伝統的な日本建築の佇まいです。
古い民具が展示されています。
末光家住宅
末光家住宅は明和7年(1770年)に建てられた平入りの建物です。蔀(しとみ)や格子(こうし)など卯之町らしいデザインが残る町並みの代表的な町家です。大正時代初期まで酒造業を営み大正8年(1919年)に「卯之町醤油株式会社」を設立し昭和12年(1937年)まで醤油製造・販売を営んでいました。
卯之町の代表的な建造物です。
市指定文化財には表札が取り付けられます。
鳥居門と旧武蔵
鳥居門は天保5年(1834年)に庄屋九代目鳥居半兵衛兼利が身分不相応な門を藩の許可無く建てたことにより常定寺へ左遷された曰くある門です。この鳥居門は乳鋲金具を配した欅の門扉に入母屋屋根という地方では珍しく格式の高い門です。
庄屋が建てた立派な大門です。
かつては料亭として使われていました。
旧武蔵は明治期に「武蔵(屋)」という屋号で商いをしていたため「旧武蔵」といいます。建築年代は明治期と伝えられ昭和中期までは料亭として使用されたといわれています。平成27年に修理事業が完了し、かまどを使った米炊きや季節・行事に合わせたイベントなど「昔のくらしを体験する」施設として活用しています。
シーボルト関連史跡
シーボルトは江戸後期に来日したドイツ人の医師で生物学者です。オランダ領東インド会社付の医官となり日本に赴任しました。日本では実地の診療や医学上の臨床講義のみならず様々な分野の学問の講義を行い多くの日本人蘭学者を育てました。
しかし文政11年(1828年)にシーボルトが帰国する直前、所持品の中に国外持ち出し禁止の日本地図などが見つかり、それを贈った幕府天文方ほか十数名が処分されたシーボルト事件が起こり、シーボルトは国外追放、再渡航禁止となりました。
シーボルトの門下であった高野長英はシーボルト事件で長崎から逃走します。各地を流転したあと江戸で投獄されますが脱獄し嘉永元年(1848年)に宇和島藩主・伊達宗城に招かれ宇和島に潜伏し伊藤瑞渓の名で蘭書を教授します。同年に宇和島を離れ江戸に潜伏しますが、嘉永3年に捕吏に襲われ自刃しました。
卯之町の路地裏にあります。
隠れ家らくし小さな庭付き家屋です。
二宮敬作はシーボルトの高弟です。江戸時代末期の蘭学者・医学者で薬草の研究に業績を残しました。シーボルト事件で長崎を追われ、天保4年(1833年)に宇和島藩主の命により卯之町に居を移し開業しました。日本初の女医となったシーボルトの娘・楠本稲(イネ)を養育したことでも知られています。
二宮敬作はイネに医学の基礎を教育し、その後、石井宗謙のもとで産科を村田蔵六からオランダ語を学び、イネは日本初の女性産科医として産婦人科の発展に多大な影響を与えました。
旧開明学校を示す石碑です。
開明学校の前身、申義堂も見学できます。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒797-0015 愛媛県西予市宇和町卯之町3丁目
- アクセス
- JR卯之町駅から徒歩8分
- 営業時間
- 特になし
- 料金
- 特になし