八日市・護国の町並み

内子町は江戸時代後期から明治時代にかけてハゼの実を蒸して作る天然のワックスである木蝋(もくろう)の生産によって栄えた町です。最盛期には木蝋国内生産の約3割を内子町で生産していました。
木蝋記念館として公開されています。
内子最大の製蝋業者の本家屋敷です。
木蝋で繁栄した面影を今も色濃く残っているのが八日市・護国地区の町並みで、内子最大の生蝋業者で大豪商の本芳我(ほんはが)家の邸宅があります。本芳我家は非公開ですが、分家の上芳我邸は公開されており、木蝋生産と豪商の暮らしぶりについて見学することができます。
約600mの通りに伝統的な造りの町家や豪商の屋敷が当時のまま軒を連ねています。家屋は浅黄色の土壁で地元の土で塗られたものです。白漆喰と黄土が織りなすコントラストは、独特の温かい風景をつくり出し、特に朝日や夕日を浴びる家々は違った表情を見せてくれます。
染物商や生糸製造を行った家系の住宅です。
内子の家屋は弁柄で塗られた出格子が特徴です。
内子の家屋の特徴として格子状の出窓があります。弁柄とは酸化鉄を原料とした赤色の顔料で、この弁柄で塗られた格子や骨太の出格子が目を引きます。江戸時代末期から明治時代に多発した打ち壊しなどから家屋を守る意味もあったのではないかと言われています。
また高価な白蝋を盗難から守るために造られた木造の垣(蝋垣)があります。最盛期には市街地に20軒以上の製蝋業者があり、天日に晒して漂白するため蝋晒し場が広がっていました。その蝋晒し場の周囲に造られていましたが、木蝋産業の衰退とともに姿を消していきました。
盗難防止用の木製の垣です。
敵の侵攻を妨げる目的だと考えれます。
八日市・護国の町並みは藩政時代の本通りに面していました。このため道をかぎ型(枡形)にすることで敵の侵攻(直進)を妨げようとしたのではないかと考えらえています。
江戸時代からの町並みが残る八日市・護国の町並みは、昭和57年に四国で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され今日に至ります。
- 住所
- 〒795-0012 愛媛県喜多郡大洲903
- アクセス
- JR内子駅から徒歩で30分
- 営業時間
- 9:00~16:30(木蝋記念館)
- 料金
- 500円(木蝋記念館)
内子座

内子座は、木蝋や生糸などの生産で栄えた大正5年(1916年)に芸術・芸能 を愛好する人々が建てた芝居小屋です。木造2階建て瓦葺き入母屋作りで回り舞台や花道、枡席などを整えた劇場で芝居などが盛んに公演されました。
その後映画館などに改装され最後は老朽化のため取り壊されるところでしたが、町並保存事業に連動し昭和58年から2か年かけて復元され劇場として再出発しました。今では町内外の芸術文化活動の拠点として活用されています。
- 住所
- 〒791-3301 愛媛県喜多郡内子町内子2102
- アクセス
- JR内子駅から徒歩で30分
- 営業時間
- 9:00~16:30
- 料金
- 900円