大山貝塚とマヤーガマ洞穴遺跡
沖縄県宜野湾市大山には沖縄貝塚時代と思われる国指定史跡の大山貝塚や主に墓地として利用されたマヤーガマ洞穴遺跡の遺構が残ります。大山地区には巨大な墓がたくさんあるのも、関連があるかもしれません。
大山貝塚
大山貝塚は那覇市の北東約10キロの沖縄本島西海岸にのぞむ丘陵上にあります。巨岩が立ちはだかるように連なる丘陵斜面の下のテラス状の平地にあります。昭和32年(1957年)の発掘調査では、貝層は約50センチ堆積しており、石器・土器・骨製品などが出土しています。昭和47年(1972年)には国の史跡に指定されました。
米軍基地の隣にあります
ノロの修行の場のため立入は遠慮した方が良さそう
大山貝塚は「ヤホソ森」御嶽の「ミソカ・イマホラ」と呼ばれる竪穴形の石灰洞があり、磨製の石斧3例と盃形の凹石が採集されています。大山貝塚の周囲はノロの修行の場として拝所があり、聖地としてただならない雰囲気があるため観光にはオススメできないと思います。
マヤーガマ洞穴遺跡
マヤーガマ洞穴遺跡は、沖縄の墓の造りと死者の葬り方の歴史を知るうえで重要な遺跡です。洞穴の中からは沖縄貝塚時代の前期(約3,000年前)と中期(約2,300年前)の人骨と壺型の土器や貝輪などの死者に添えられた副葬品が発見されています。
その昔、洞穴に住む魔物がマヤー(猫)に化けて、大山村の子供たちを次々と行方知れずにしました。見かねた村の力持ちがマヤーを懲らしめ追い詰めると、マヤーはガマ(洞穴)の甕の中に逃げ込み、村の力持ちはその甕を括り付けてマヤーを閉じ込めました。それ以来、魔物は二度と現れませんでした。この洞穴遺跡はその話にちなんでマヤーガマー洞穴遺跡と名付けられました。
マヤーガマー洞穴遺跡では、琉球王府時代(約200年前)にも洗骨の儀礼を終えた遺骨を陶器製の納骨器に納め直して再び洞穴墓として利用されていることも分かっています。このように琉球の人々の死者の弔い方の移り変わりを知る上で重要な遺跡です。
マヤー(猫)に化けた魔物の逸話が残ります
洞穴では墓地や生活の場として利用されてきました
またマヤーガマー洞穴遺跡からは、沖縄貝塚時代の後期(約1,500年前)とグスク時代(800年前)の鍋型の土器や植物をすり潰す摺石などの生活用具も発見されており、当時の人々が洞穴で生活していたことが分かっています。
- 住所
- 〒901-2223 沖縄県宜野湾市大山富盛原
- アクセス
- バスで第一大山バス停下車、徒歩15分
- 営業時間
- 特になし
- 料金
- 無料
- 地図