アスワン

アスワンはシエネと呼ばれるエジプト南部にあるヌビア地方の都市で、砂漠気候に属するため年間を通じて乾燥しています。貫流するナイル川に多くの島ができ、伝統的な帆船フェルーカの遊覧が楽しめます。ヌビア文化が栄えた土地でもあります。
概要
- 面積
- 34,610km2
- 標高
- 194m
- 人口
- 156.8万 (2020年)
- 地図
歴史
エジプト政府は頻繁に氾濫するナイル川を安定的なものにするため、ソ連の援助を受けてアスワンダムを建造しました。ダムの建設で水没するアブシンベル神殿やファネストアリ神殿などを保護する運動が起こり、世界遺産創設の契機ともなりました。
エジプト新王国
紀元前1279年に即位したラムセス2世は外征を頻繁に行いました。紀元前1286年にヒッタイトとカデシュの戦いとなりましたが、シリアの要衝カデシュを回復することはできませんでした。エジプト新王朝時代は、紀元前1069年に海の民の侵攻により終わりを迎えました。

未完のオベリスク
古代エジプトで花崗岩の採石場とされており、採石場跡にはハトシェプストが依頼して石切りに失敗してヒビが入り放置された未完のオベリスクが残されています。

アブ・シンベル神殿
ラムセス2世が岩を切り開いて築造した神殿で、ダム建設の水没を免れるため現在地に移転されました。ラムセス2世の大神殿とネフェルタリ王妃の小神殿からなります。

アブ・シンベル大神殿
正面にラムセス2世の像が4体ある神殿で、内部にラー・ホラクティ神、プタハ神、アメン神、ラムセス2世の4体の像があり、王の誕生日と即位日に太陽が差し込みます。

アブ・シンベル小神殿
王妃ネフェルタリのために造られた神殿で、3体のラムセス2世に挟まれる形で王妃の像があり、その足下には彼らの子どもが彫られています
グレコ・ローマン時代
紀元前4世紀にアレクサンドロス大王が征服してヘレニズム国家のひとつプトレマイオス朝が建国しますが、内乱などでプトレマイオス朝が衰退すると、紀元前1世紀頃にローマが介入するようになりました。女王クレオパトラはカエサルやアントニウスと結んで生き残りを図りましたが、紀元前30年にクレオパトラが自殺してプトレマイオス朝は滅亡してローマの属州となりました。4世紀にキリスト教が定着してエジプトに禁教令が発せられると、550年にフィラエ島のイシス神殿が閉鎖されました。

イシス神殿
クレオパトラの父プトレマイオス12世が築いた神殿で、アスワンハイダム建設による水没から守るため隣の島に丸ごと移転されました。
アスワンハイダムの建設
エジプト革命を指導したナセル大統領は、1960年にソ連の援助により巨大なダムの建設に着手しました。1971年に完成した巨大ロックフィルダムは、高さ111メートル、全長3600メートルに及び、12基の水力発電装置が210万キロワットの電力を供給しました。ダムにより出現したナセル湖は農業用水を安定化して砂漠の緑化にも役立てられました。

アスワンハイダム
ダムの建設によりナイル川の氾濫を防止して安定的な水と電力の供給を可能としたほか、平坦なエジプトで最も標高が高い地点ともなりました。

ナセル湖
ダム湖の出現で貴重な遺跡が水没する危機となり、ユネスコはアブシンベル神殿を移転しました。経済発展と遺跡保護は世界的な議論となり、世界遺産創設の契機ともなりました。