マラッカ
マラッカ(またはムラカ)はマレーシア南西岸に位置するマラッカ州の州都です。15世紀にマラッカ王国が誕生し、マラッカ海峡を東西貿易の要衝として大きな富を築きます。16世紀に入ると、ポルトガル、オランダ、イギリスの統治が続きました。
概要
- 面積
- 277km2
- 標高
- 6m
- 人口
- 57.9万 (2019年)
- 地図
歴史
マラッカは、古くからヨーロッパとアジアを結ぶ海上交通の要衝であるマラッカ海峡に形成されました。15世紀初頭にマラッカを首都としたマラッカ王国が成立すると、イスラム商人を招いて中国明との交易で発展してきました。16世紀にヨーロッパ諸国が大航海時代に突入すると、ポルトガル、オランダ、イギリスに支配されました。
マラッカ王国の成立
スマトラ島やマレー半島は、7~14世紀にシュリーヴィジャヤ王国が支配していました。14世紀末から15世紀初頭にかけてインドネシア全域を支配していたマジャパヒト王国で内戦が起こると、スマトラ島南部スレンバンのシュリーヴィジャヤ王国の王子パラメスワラは、内戦に巻き込まれてマレー半島に逃れ、1402年にシュリーヴィジャヤ王国の一部を引き継ぐ形でマラッカ王国を建国しました。
マラッカ王国の繁栄
インド進出を目指す中国明の永楽帝の命を受けた鄭和は、1405年に大艦隊をマラッカに派遣しました。鄭和はマラッカを補給基地とて重視し、マラッカ国王も明に朝貢を行うようになりました。これを契機にマラッカは交易都市として発展を遂げ、ムスリム商人との取引も活発になり、マラッカの国王はイスラム教に改宗してイスラム教国家となりました。
マラッカと大航海時代
中世のヨーロッパでは香辛料の人気が高く、食材のみならず薬として大変重宝されていました。1509年にアフリカの喜望峰からインドを経由してマラッカを発見したポルトガルの帆船は、東西交易の基地港であるマラッカの繁栄を見て、世界で一番繁栄している港と絶賛しました。
香辛料
東南アジアで栽培される香辛料は、インドを経由してトルコへ運ばれるうちに高いマージンが掛けられ、最西端ポルトガルで金と同じ価値で取引されました。
大航海時代
香辛料を求めて大航海時代が始まり、マラッカを発見したポルトガルの帆船は、マラッカを世界で一番繁栄している港と絶賛しました。
ポルトガルの植民地
ポルトガルは初寄港からわずか2年後の1511年にアルブケルケが艦隊を率いて近代兵器の大砲や鉄砲で攻撃してマラッカ王国を占領しました。マラッカ王宮を焼き払い、ファモサ要塞跡(サンチャゴ砦)を建造して、マラッカ王国が貿易で稼いだ莫大な財貨を本国へと送りました。敗走したマラッカ王国は南のジョホールに遷都して王家を建て直し、ポルトガルに対して執拗な復讐攻撃を仕掛けましたが、近代兵器の前には勝てず植民地化されました。
ファモサ要塞跡(サンチャゴ砦)
セントポールの丘を囲むように高さ5メートルの城壁と4つの通用門がありましたが、そのうち1つだけが唯一現存する門になります。
ファモサ要塞跡(サンチャゴ砦)
1795年に役目を終えたファモサ要塞を英国は破壊しようとしましたが、シンガポール中興の祖スタンフォード・ラッフルズ卿が反対して現存しました。
フロール・デ・ラマール
マラッカ海峡に沈んだポルトガル交易船の復元で、当時は風を利用して進む帆船で交易を行いました。
フランシスコ・ザビエル
1545年にマラッカを訪れたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルは、ポルトガル人が1521年にセント・ポールの丘に建てたセント・ポール教会で布教を行いました。ザビエルは布教活動で日本人のやじろうと出会い、日本に興味を持ちました。1549年に日本に上陸を果たしたザビエルは、やじろうと共に数年にわたり日本での布教活動を行い、続いて中国での布教を目指しましたが、1552年に中国に上陸する前に逝去しました。
セント・ポール教会
ザビエルがマラッカで布教した教会です。日本から中国に渡る途中に死去したザビエルの遺骨は、9カ月間この教会に安置されてインド・ゴアに移送されました。
セント・ポール教会
プロテスタントのオランダやイギリスに支配が移ると、教会は放置されて荒廃してオランダ人の墓石のみが残されています。
セント・フランシス・ザビエル教会
ザビエルの威徳を偲び1849年にフランス人がゴシック様式のセント・フランシス・ザビエル教会を建設しました。
ザビエルとやじろう
ザビエルはマラッカで日本人のやじろうと出会い、日本に行くことを決めました。やじろうはザビエルの通訳として一緒に日本で布教活動しました。
オランダの植民地
16世紀末になると経済的繁栄が著しいオランダが東南アジアに進出を始めました。カトリックとプロテスタントの宗教戦争であるオランダ独立戦争でスペインやポルトガルは対立し、その余波は東南アジアにも伝わりました。1641年にオランダはポルトガルからマラッカを奪いアジア進出の拠点としました。オランダ広場には1650年にオランダ統治時代の総督邸として、スタダイス建築の建物が建てられ、1753年にはマラッカ・キリスト教会が建設されました。
オランダ広場
オランダ統治時代の建造物が並びます。建設当時はすべて灰色でしたが、イギリス統治時代に現在のサーモンピンク色に塗り替えられました。
ビクトリア女王噴水
オランダ公園にはビクトリア女王噴水があり、あたりには出店が立ち並びトゥクトゥクが走ります。
イギリスの植民地と独立
1795年にはオランダの影響力が弱まると、マラッカはイギリスの東インド会社が統治することになります。第二次世界大戦ではマレー半島は日本の統治下に置かれましたが、1945年の終戦により再びイギリス統治下に置かれ、1957年にイギリスから独立して1963年にマレーシア共和国が成立しました。
マラッカ
マラッカはペナン島のジョージタウンとともに、2008年にマラッカ海峡の歴史都市群としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。