イズミル

イズミルはトルコのエーゲ海沿岸に位置し、イスタンブールやアンカラに次ぐトルコ第3の都市です。一年を通して穏やかな気候で、エーゲ海の真珠とも言われる美しい都市です。
概要
- 面積
- 11,890km2
- 標高
- 2m
- 人口
- 436.7万 (2019年)
- 地図
歴史
イズミルは古代ギリシャが建設したスルミナを起源としています。アレクサンドロス大王の死後に誕生したペルガモン王国が首都としました。ペルガモン王国はローマに吸収され、イズミルは東ローマ帝国からビザンツ帝国に受け継がれて商業都市として繁栄し、オスマン帝国の支配下でも海上交易の要衝として発展しました。
ペルシャ時代
紀元前560年にリディア王国が西アナトリア一帯を支配していましたが、クロイソスはペルシャに敗れてアナトリア一帯はペルシャの支配下になりました。紀元前362年にアナトリアの人びとはペルシャに対して反旗を翻し、オロンテスがペルガモンを拠点としましたが、ペルシャの強大な力で鎮圧されました。
ヘレニズム時代
マケドニアのアレクサンドロス大王は、紀元前334年に東方遠征を進め大帝国を築きました。アレキサンドロス大王が死去すると後継者争いが起こりリュシマコス朝マケドニアが支配下に置きましたが、紀元前312年に アレクサンドロス大王の後継者のひとりセレウコスが建国したセレウコス朝シリアの支配下としました。紀元前262年にエウメネス1世がセレウコス朝シリアから独立して初代アッタロス1世となり、イズミルはアッタロス朝ペルガモン王国の首都となりました。
ペルガモン(ベルガマ)遺跡
ペルガモン(ベルガマ)は、アッタロス朝ペルガモン王国エウメネス2世がアクロポリスを築いたことに始まります。アテネ神殿やゼウスの祭壇、アゴラなどが建てられ、ローマ時代に移行してトラヤヌス神殿やセラピス神殿などが建てられました。古代の名医ガレノスが多くの患者を受け入れ、最先端の医療を施す場所でもありました。

ペルガモン(ベルガマ)遺跡
エフェソス、トロイとともにエーゲ海3大古代遺跡と称され、2014年にペルガモンとその重層的な文化的景観としてユネスコ世界遺産に登録されました。

ベルガマ遺跡・トラヤヌス神殿
丘の上にあるアクロポリスにローマ時代に建てられたローマ皇帝トラヤヌスを祀る神殿で、ペルガモンで最も高い場所に位置しています。

屋外劇場
丘の斜面を巧みに使用してつくられた大劇場で、1万人が収容できる劇場です。見晴らしが良くベルガモの町が一望できます。

アスクレピオン
ペルガモンは最先端の医療を施す医療先進国でした。医学の神アスクレピオスに捧げられた医療施設では、暗示や催眠、薬草や温泉浴などの治療が行われました。
ローマ時代
ペルガモン王国はアンティゴノス朝マケドニアとセレウコス朝シリアと対立しますが、両国が手を結んだことで共和政ローマに支援を求めました。紀元前133年にペルガモン王国アッタロス3世はローマに国土を献上してアリストニコスの反乱を招きますが、ローマ軍が反乱を鎮圧してペルガモン王国はローマ属州となりました。395年にローマは東西に分裂して東ローマ帝国の支配下となり、ビザンツ帝国へと受け継がれました。
エフェソス遺跡
紀元前4~5世紀のギリシャ時代にアルテミス信仰の地となるエフェソスは、ローマ時代に海水を引いて船が停泊する重要な港湾都市として栄え、全盛期には25万人もの人が住みました。紀元前33年にはプトレマイオス朝の女王で絶世の美女と言われるクレオパトラも訪れたと言われてます。431年にはエフェソス公会議が行われ、聖母マリアの正統について話し合われました。

クレテス通り(王の道)
大理石が床に敷き詰められたクレテス通りは王の道とも呼ばれ、神殿や浴場などの建物が建てられています。豪華ではありますが滑りやすいです。

ニケのレリーフ
ニケは勝利の女神で、スポーツメーカーNIKEの名称に採用され、ニケのレリーフの腰のドレスラインがロゴのデザインに採用されています。

スコラスティカの浴場
ローマ人たちは仕事を昼までに終わらせて浴場に集まりました。浴場は単に体を洗うだけではなく社交場として利用されていました。

トラヤヌスの泉
古代ローマでは街の至る所に噴水を造る文化がありました。トラヤヌスの泉は噴水の跡で、中央にある窪みから水が噴き出していたそうです。

ハドリアヌス神殿
エフェソス市民がローマ皇帝ハドリアヌスに献上した神殿で、女神ティケ、メドゥーサなどの彫刻で飾られた美しい神殿はトルコ紙幣の絵柄に採用されています。

ケルスス図書館
古代の世界三大図書館のひとつで12万冊が蔵書されました。プトレマイオス朝エジプトからのパピルスだけでは紙が足りず、ペルガモン王国で羊皮紙が発明されました。

ブルテリオン
オデオンに比べると小さめの半円形の劇場の構造をしており、エフィソス市議会の会議場として使用されたほか音楽イベントも行われていました。

オデオン
100年かけて造られた半円形の演劇場で、最大2万5千人もの観客が石段に腰掛けながら演劇や音楽を楽しみました。
オスマン帝国の支配
17世紀半ばからイラン産生糸やアナトリア産綿花などをヨーロッパへ輸出する拠点として急速に発展しました。国際的な一大商業都市に発展したイズミルには、多くのフランス人やイギリス人など外国商人が居住しました。特にギリシア人は綿花輸出において中心的な役割を果たし、オスマン帝国からギリシャが独立した後もイズミルの商業活動の主な担い手となりました。
ギリシャ=トルコ戦争
1919年にギリシャ軍が侵攻をはじめ、オスマン帝国のムスタファ=ケマルがギリシャ軍と戦いました。1920年にムスタファ=ケマルはトルコ国民党を率いてアンカラにトルコ大国民議会を召集し、イスタンブルのスルタン政府と絶縁して新政権を樹立しました。1921年にムスタファ=ケマルはサカリャ川の戦いでギリシャ軍を破り、翌年にギリシャ軍は撤退してイズミルは奪回されました。
トルコ共和国の成立
1923年にトルコ共和国が成立すると、ギリシャ名のスルミナからトルコ名のイズミルに改称されました。この地はギリシャ系のキリスト教徒が多いためトルコ人から異教徒の町と呼ばれており、ギリシャ軍が撤退するとトルコ軍がキリスト教徒を弾圧しました。