コンヤ

コンヤはトルコ内陸部アナトリア地方の主要都市の一つで、11世紀末以降はルーム・セルジューク朝の首都として栄えました。イスラム神秘主義旋舞教団の拠点で、ルーム・セルジューク朝時代に建てられたモスクや神学校、メブラーナ博物館などがあります。
概要
- 面積
- 38,870km2
- 標高
- 1,016m
- 人口
- 216.1万 (2016年)
- 地図
歴史
新石器時代から人が住んでいたコンヤは、ギリシャやローマ人たちがイコニオンと呼ぶ町をつくりました。パウロが布教したことでキリスト教が普及しますが、やがてルーム・セルジューク朝が首都を遷してイスラム神秘主義の中心として繁栄しました。
新石器時代
コンヤ南部のアナトリア台地南部は古くから人が定住していました。チャタルヒュニクの遺跡は、紀元前7400年から紀元前5200年にかけて人の営みが残ります。東の丘からは最大で1万人が生活していた新石器時代の跡が残り、西の丘からは人類が農耕生活を行う最初期級の定住生活跡が見つかりました。
ローマ時代
紀元前262年にエウメネス1世がアッタロス朝ペルガモン王国を建国し、紀元前133年にペルガモン王国アッタロス3世が国土をローマに献上しました。イコニオンと呼ばれた都市はイコニウムと呼ばれるようになり、使徒パウロが伝教してキリスト教が広まりました。フリギア地方の伝承ではコンヤはノアの洪水後に世界で最初に造られた都市とされいます。
ルーム・セルジューク朝の支配
セルジューク朝アルプ=アルスラーンは、1071年のマンジケルトの戦いでビザンツ帝国に勝利してトルコ全域を支配下に置きました。やがてセルジューク朝は地方政権に分裂し、ニケーアを首都としたルーム・セルジューク朝が小アジアを支配しました。このような分裂状態に乗じて第一回十字軍の遠征が起こり、ルーム・セルジューク朝は首都をニケーアからコンヤに遷しました。
メブラーナ教団
メブラーナ・ジェラールッデイン・ルーミーが創始したイスラム神秘主義の一派で、メブラーナ教団の総本山としてメブラーナの霊廟が建てられました。メブラーナ教は旋回しながら踊ることで神と一体になれるという教えがあり、その踊りはセマーとして現在も継承されています。

スルタンハーン(キャラバンサライ)
シルクロードを旅するキャラバンが休憩する隊商宿で、1229年にスルタンの命により建造されました。安全な休憩が確保するため高い城壁に囲まれています。
オスマン帝国の支配
ルーム・セルジューク朝は13世紀に最盛期を迎えましたが、1243年にモンゴル帝国の侵攻により衰退し、1278年にイル・ハン国の属国となりました。ルーム・セルジューク朝の衰退により各地で有力者たちが自立する動きを見せ、オスマン1世は軍事力を背景に勢力を拡大し、跡を継いだオルハンがオスマン帝国を樹立しました。
トルコ共和国の成立
トルコ共和国の初代大統領となるムスタファ=ケマルは、政教分離政策を唱えました。1925年にメブラーナ教団は解散しました。1927年にメブラーナの霊廟は博物館として公開されました。

メブラーナ博物館
13世紀末に建てられたメブラーナ霊廟がある修行場で、ムハンマドのあごひげなど展示する博物館となりました。エメラルドグリーンの尖塔が特徴的です。