歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

ネウシェヒル

トルコ・ネウシェヒルのカッパドキア

ネヴシェヒルはトルコ国土の中央部に位置するネヴシェヒル県の県都です。クズルウルマク川の南方の高原に位置し、夏は猛暑で冬は寒さが厳しい地域です。カッパドキアと呼ばれる岩窟集落地域は1985年にギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群として世界遺産に認定されました。

概要

面積
568km2
標高
1,224m
人口
117,327人(2009年)
地図

歴史

アレクサンドロス大王の東征によりヘレニズム文化の受け、ローマ帝国の支配下でキリスト教が広まりました。ローマ帝国からの迫害を逃れたキリスト教徒はカッパドキアの奇岩を掘り抜いて教会や住居を建設しました。オスマン帝国の宰相イブラヒム・パシャが町を整備し、ネヴシェヒルと名付けられました。

ヒッタイト王国

紀元前2000年頃にヒッタイト人が定着し、紀元前1700年頃にヒッタイト王国を建国しました。紀元前1600年頃にヒッタイト王国はシリア地方に侵入するようになり、紀元前1286年にムワタリ2世にエジプト新王国ラムセス2世とカデシュの戦いとなり大きな被害を受けました。紀元前1200年頃にヒッタイトは地中海の海の民に侵略されるようになり、紀元前800年頃にメソポタミアのアッシリアにより滅ぼされました。

トルコ・ネウシェヒルのカッパドキア

カッパドキア

美しい馬の地を意味するペルシャ語が語源と言われます。300万年前の噴火で堆積した火山灰や溶岩が浸食と風化を繰り返して不思議な景観が形成されました。

トルコ・ネウシェヒルのカッパドキア

カッパドキア

紀元前4000年頃から洞窟住居が造られたとされています。世界で初めて鉄器を使用したヒッタイト王国の中心地でもありました。

ペルガモン王国

紀元前262年にエウメネス1世がセレウコス朝シリアから独立してアッタロス朝ペルガモン王国を建国しました。紀元前133年にペルガモン王国アッタロス3世が国土をローマに献上し、18年にはカッパドキアがローマの属州となりました。

ローマ時代

パウロらの布教によりカッパドキアにキリスト教が広まりましたが、3世紀にローマはキリスト教の弾圧を行いました。迫害を逃れたキリスト教徒は4世紀頃から36もの地下都市に住むようになり、カイマクルとデリンクユの2つの地下都市は特に規模が大きいです。

トルコ・ネウシェヒルのカイマクル地下都市

カイマクル地下都市

地下18階の構造で深さ80メートルもあります。約1万人の人が住んでいたそうです。

トルコ・ネウシェヒルのカイマクル地下都市

カイマクル地下都市

内部は迷路のように無数の部屋があり、生活空間や貯蔵庫のほか礼拝堂などの宗教施設があります。

オスマン帝国時代

ネウシェヒルはムシュカラと呼ばれる小さな村に過ぎませんでしたが、1718年から1730年にかけてオスマン帝国の宰相イブラヒム・パシャが町の整備を行いました。イブラヒム・パシャは私財を投じてモスクを中心に神学校や図書館などを整備し、ムシュカラは新しい都市を意味するネヴシェヒルと改名されました。