歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

アンカラ

トルコ・アンカラ市街

アンカラは中央アナトリア地方に位置するトルコの首都です。アナトリア高原の標高850メートルほどの高地にあり、夏は湿気が少なく冬は非常に寒い気候をしています。舞台公演の中心地として国立オペラ・バレエ団、トルコ国立大統領交響楽団、複数の国立劇団の拠点となりました。

概要

面積
24,520km2
標高
938m
人口
566.3万 (2020年)
地図

歴史

紀元前1200年頃に地中海の海の民が侵攻して、のちにアンカラとなるアンキュラの町が生まれました。ビザンツ帝国が支配しますが、イスラム勢力の侵攻を受けてルーム・セルジューク朝やオスマン帝国の支配下となりました。第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊すると、ムスタファ=ケマルはトルコ共和国を建国してアンカラを首都としました。

ヒッタイト王国の建国

紀元前2000年頃にヒッタイト人が定着し、紀元前1700年頃にヒッタイト王国を建国しました。ヒッタイト王国はメソポタミアまで勢力を広げ、エジプト新王国ラムセス2世とも戦いました。紀元前1200年頃に地中海の海の民が侵略してアンカラの起源となるアンキュラの町が築かれました。

トルコ・アンカラのハットゥシャ

ハットゥシャ

ヒッタイト王国の首都はアンカラ東部のボアズカレ近郊ハットゥシャに置かれ、優れた製鉄技術を駆使してメソポタミアまで領土を拡大しました。

ペルシャの侵攻

紀元前800年頃にメソポタミアのアッシリアがヒッタイト王国を滅ぼして支配しますが、紀元前700年頃にアッシリアが滅亡して4つの国家が出現しました。アナトリア西部はリディア王国が支配して世界で初めて鋳貨を製造したほかエーゲ海沿岸のギリシャ植民都市と戦いましたが、紀元前546年にアケメネス朝ペルシアに敗れて併合されました。

ヘレニズム時代

マケドニアのアレクサンドロス大王は、紀元前334年に東征を始めました。紀元前331年のアルペラの戦いでアケメネス朝ペルシアは滅亡し、アレクサンドロス大王は大帝国を築きました。アレクサンドロス大王の死去に伴う後継者争いで、紀元前301年のイプソスの戦いを経て、紀元前312年にセレウコスがセレウコス朝シリアを建国しました。

ローマ時代

勢力を広げ続けるローマ帝国はポンペイウスを派遣してセレウコス朝シリアを滅ぼし、ローマ帝国の属州ガラティアの首府として重要な拠点としました。395年に肥大化したローマ帝国が分裂すると、東ローマ帝国からビザンツ帝国へと移り変わりました。

トルコ・アンカラのローマ浴場跡

ローマ浴場跡

3世紀にカラカラ帝がつくらせた浴場施設の遺跡で8世紀まで使われました。現在は基礎のみですが、温浴室やサウナのほか遊戯場などが存在したと考えられています。

イスラム文化

1037年に成立したセルジューク朝は、急速に勢力を拡大してビザンツ帝国へ侵攻を始めました。1071年のマンジケルトの戦いで勝利したセルジューク朝は、トルコ全域を支配してトルコ系移民が流入します。やがてセルジューク朝は地方政権に分裂し、1077年にルーム・セルジューク朝が小アジアを支配しました。こうした分裂状態に乗じてビザンツ帝国は十字軍と協力してルーム・セルジューク朝を攻撃し、ルーム・セルジューク朝は衰退していきました。

トルコ・アンカラのアンカラ城

アンカラ城

13~15世紀にかけてルーム・セルジューク朝が築造した城塞で、その前にはヒッタイト人の砦が築かれていた伝承があります。

オスマン帝国

ルーム・セルジューク朝は13世紀に最盛期を迎えましたが、1243年にモンゴル帝国の侵攻により衰退し、1278年にイル・ハン国の属国となりました。ルーム・セルジューク朝の衰退により各地で有力者たちが自立する動きを見せ、オスマン1世は軍事力を背景に勢力を拡大し、跡を継いだオルハンがオスマン帝国を樹立しました。1402年のアンカラの戦いでオスマン帝国はペルシアのティムール朝に大敗して滅亡の危機を迎えますが、メフメト1世とムラト2世が領土を回復しました。

トルコ・アンカラのハジュ・バイラム・ジャーミィ

ハジュ・バイラム・ジャーミィ

1400年代に建てられたオスマントルコ様式のモスクで、詩人ハジュ・バイラムの霊廟があることから名付けられました。アンカラで最も崇拝されています。

トルコ共和国の成立

第一次世界大戦でオスマン帝国が敗戦国となると、オスマン帝国の領土は大幅に縮小されて崩壊しました。1919年にギリシャ軍がオスマン帝国領に侵攻をはじめると、ムスタファ・ケマルがギリシャ軍を退ける活躍をして信頼を得ていきました。1920年にムスタファ=ケマルはトルコ国民党を指導し、アンカラでトルコ大国民議会を開いて新政権を樹立しました。1923年にアンカラは首都となり、急速な近代化と都市開発により人口が増加しました。

トルコ・アンカラのアタテュルク廟

アタテュルク廟

アンカラの丘の上にある初代大統領ムスタファ=ケマル(ケマル・アタテュルク)の霊廟で、地元ではアヌトゥカビルと呼ばれています。