ヴェローナ
ヴェローナはイタリア北部にあるベネト州の都市です。蛇行するアディジェ川沿いに赤茶けた家の屋根が印象的な旧市街が広がります。町の中心部には古代ローマ時代の円形競技場などが残ります。シェイクスピアのロミオとジュリエットの舞台でもあります。ヴェローナの町は2000年に世界遺産に登録されています。
概要
- 面積
- 206.6km2
- 標高
- 59m
- 人口
- 25.74万 (2017年)
- 地図
歴史
アディジェ川のほとりにあるヴェローナは、ミラノ、ヴェネツィア、ローマへの交通の要衝にあり、ヨーロッパの覇権を巡る戦いの舞台ともなりました。ローマの植民都市として発展を遂げ、スカラ家により黄金時代を迎えました。ローマ時代の遺跡やルネサンス期の建造物は第二次世界大戦でもほぼ無傷で残されたことから、2000年にヴェローナの旧市街が世界遺産に登録されました。
ヴェローナの発展
紀元前3世紀までのヴェローナの集落は、共和制ローマと同盟関係にありました。紀元前89年にローマ植民都市の地位を与えられてローマ領土に編入されると、次第にローマ都市へと変化していきました。小さな要塞都市に過ぎない町は急速に発展を遂げて、市民の集会場であるフォルムや円形競技場(アレーナ)、ローマ劇場などが町の中心に建てられていきました。やがてローマ帝国が東西に分裂すると、476年にオドアケルが西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位してオストロゴト・テオドリック1世が東ゴート王国を建国してヴェローナを支配し、568年に北イタリアのランゴバルド王国、774年にフランク国王カール大帝と支配者が変わりました。
ヴェローナ市街
共和制ローマと同盟関係にありましたが、戦略上重要な都市としてアディジェ川のほとりに大きな町が形成されていきました。
アレーナ
ローマのコロッセオよりも前の西暦30~40年に建造されて、ローマのコロッセオ、カプアのアレーナに次いでイタリアで3番目の大きさを誇ります。
聖ゼーノ教会
ローマ帝国コンスタンティヌス帝は313年にミラノ勅令でキリスト教を公認すると、ヴェローナ司教としてゼーノが就任しました。380年にゼーノが亡くなると、町外れに埋葬されて小さな教会が建てられて聖ゼーノ教会の前身となりました。小さな教会は967年にロマネスク様式で建替えられますが、1117年の大震災で崩壊して1138年に再建されました。
聖ゼーノ教会
教会の正面ファザードはクリーム色のシンプルな壁に大きなバラ窓があり、教会の右手には12世紀に建てられた鐘楼、左手にはかつて存在した修道院を守る城壁の塔が残ります。
聖ゼーノ教会
イタリア・ロマネスク建築の傑作と言われる聖ゼーノ教会には、ヴェローナの守護聖人とされたゼーノが祀られています。
スカラ家統治時代の繁栄
ヴェローナはスカラ家、ビスコンティ家、パドヴァのカッラーラ家の闘争に巻き込まれますが、やがてスカラ家が支配するようになり、13~14世紀にかけてスカラ家の統治のもとで最盛期を迎えました。1405年からはヴェネツィア共和国に属するようになりますが、平和な時代が訪れることになります。
エルベ広場
古代ローマ時代の公共広場フォロ・ロマーノの跡地であり、古来から賑わいを見せていた広場は、見せしめのため罪人を市民に晒した台が残されています。
ヴェローナのマドンナ
スカラ家カンシニョーリオが市民の飲料水を確保するため、1368年に建造した噴水です。
カステル・ヴェッキオ
ヴェローナ領主スカラ家カングランデ2世は、外敵からの侵攻や市民の反乱に備えて1356年にカステル・ヴェッキオを建造しました。カステルヴェッキオとは古城の意味で、赤いレンガの城壁と6つの塔のほか、アディジェ川には緊急時に脱出するために跳ね橋が整備されました。カステル・ヴェッキオは建造当初は宮殿として使われていましたが、城塞として主に使用るようになり、ヴェネツィア統治時代には大砲を備えて防衛が強化されました。
カステル・ヴェッキオ
イタリアの建築家スカルパが1958~64年に美術館に改築してから14~18世紀のヴェローナ派やヴェネツィア派の芸術作品が展示されるようになりました。
スカリジェロ橋
緊急時に脱出するためにアディジェ川に架けられた跳ね橋で、スカラ家の橋という意味でスカリジェロ橋と呼ばれています。
歌劇の舞台ヴェローナ
1302年に公金横領の罪に問われてフィレンツェを追放された詩人ダンテは、スカラ家により保護されてラヴェンナで生活するようになりました。スカラ家はダンテをヴェローナに招き、ヴェローナに滞在している中で神曲の一部を執筆したと言われます。また、ヴェローナはシェークスピアの歌劇ロミオとジュリエットの舞台として知られています。ロミオとジュリエットは1300年頃の史実と言われており、ヴェローナ市内にはジュリエッタの家のほかロメオ家の墓もあります。
ジュリエッタの家
ジュリエッタの家の中庭には、1938年頃にバルコニーが設置されて映画などの撮影で使用されています。
ジュリエッタの像
中庭にあるジュリエッタの像の右胸に触れると恋が成就すると言われており、多くの人が触れるため変色しています。
ナポレオンの侵略
フランス国王ルイ16の弟プロヴァンス伯は、フランス革命でルイ16世が処刑されるとパリに幽閉されていた王子をルイ17世として即位させて自らは摂政となりました。プロヴァンス伯はヴェローナに拠点を構えましたが、ルイ17世が死去するとルイ18世を名乗り王政の復活を目指しました。1797年にナポレオンの侵攻によりヴェネツィア共和国が滅亡すると、ルイ18世はヴェローナから逃亡してヴェローナは一時的にフランスの統治下に置かれました。
イタリア王国への編入
1814~15年のウィーン会議を経てイタリア北東部にロンバルド=ヴェネト王国が成立すると、オーストリア皇帝が同国の国王を兼ねたため、ヴェローナは実質的にオーストリアが支配しました。1866年にイタリア王国がプロイセン=オーストリア戦争が起こり、この過程でヴェローナはイタリア王国の一部となり現在に至ります。
ガーヴィ門
ローマ時代の凱旋門でナポレオンの侵攻で破壊されましたが、第二次世界大戦後に残存する石で復元されました。
ヴェローナ市庁舎
円形闘技場アレーナの前に置かれたオーストリア帝国の兵舎で、のちに市庁舎として使用されるようになりました。