アクイレイア
アクイレイアは、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ウーディネ県にある基礎自治体です。ローマ時代に建設された古代都市を起源とし中世初期まではイタリア北東部の中心都市でした。現在は長閑な田舎の雰囲気がある世界遺産の街です。
概要
- 面積
- 36km2
- 標高
- 5m
- 人口
- 3322万人 (2017年)
- 地図
歴史
アクイレイアはローマ時代の植民都市でした。ポストゥミア街道にある港町で交易により発展を遂げ、古代ローマ最大の都市ではないかと言われるほど繁栄しました。やがて外部からの侵略を受けて商業をヴェネツィアに譲り衰退していきますが、フランク王国カール大帝の支援によりアクイレイア大聖堂が建設されるなど繁栄を取り戻しました。アクイレイア大聖堂は、1998年にアクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカとして世界遺産に登録されています。
ローマ都市としての繁栄
アクイレイアは紀元前181年にアドリア海の北端でポー平原の東端にあたるナティッサ川流域に築かれたローマ植民都市です。ボノニア(ボローニャ)などの北イタリアを横断するポストゥミア街道が建設されると中央・南ヨーロッパと黒海や西アジアを結ぶ交易拠点となり、カルニ人やイストリア人などの好戦的な民族の侵入を防ぐ関門として軍事拠点が築かれました。
アクイレイア総大司教区
313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世のミラノ勅令によりキリスト教が公認されると、アクイレイアの司教テオドーロは総主教となりバシリカを建設してキリスト教宣教の拠点としました。3~4世紀には西方正帝マクシミアヌスの下で帝国の首都のひとつとしてヨーロッパ屈指の都市となり、553年にアクイレイアは総大司教区に昇格しました。
アクイレイア
古代ローマの植民都市として、カルニ人やイストリア人などの好戦的な民族の侵入を防ぐ関門として軍事拠点が築かれました。
フォロ・ロマーノ
交易拠点として栄えてローマ最大級の都市が置かれていました。フォロの跡地には大理石の円柱14本が1955年に再建されました。
アクイレイアの衰退
街道にある港町アクイレイアは交易都市として繁栄して、1世紀から4世紀にかけて人口が10万人を超えました。この規模は古代ローマ最大級の都市ではないかと言われます。交通の要衝にあるアクイレイアは侵略の対象でもあり、167年にはローマ帝国北方国境で発生したマルコマンニ戦争を始めとして、激しい戦闘が繰り返されました。452年にはフン族アッティラ王がアクイレイアに侵略して略奪や破壊により壊滅的な打撃を受けました。
ローマ遺跡
侵略されたアクイレイアの住民はヴェネツィア近海の環礁に逃れ、交易都市としての役割がヴェネツィアに移ることで次第に衰退していきました。
ローマ遺跡
廃墟と化したアクイレイアの都市遺跡は、建築資材の採石場として絶えず破壊と略奪が繰り返され、ほとんどの建物は姿を消しました。
アクイレイア大聖堂
9世紀にフランク王国が勢力を広げてアクイレイアを支配下に置くと、アクイレイア総大司教パウリヌス2世やマクセンティウスは、フランク国王カール大帝の支援を受けてアクイレイアの復興を進めました。1031年には大司教ポッポーネが初代司教テオドーロが建てた教会を総ロマネスク様式のアクイレイア大聖堂(サンタ・マリア・アッスンタ聖堂)に建替え、1379年には総大司教マルカドによりゴシック様式に改修されました。
アクイレイア大聖堂の衰退
アクイレイア総大司教は高い宗教的な権威があり、イタリア北東部に広大なアクイレイア総大司教領を所有してキリスト教勢力の中で地位を上げました。ところが、交通の要衝にあるアクイレイアはマジャール人の侵攻などがあり、1238年に総大司教座がウーディネに遷され、1420年にヴェネツィアがウーディネを併合したためアクイレイアもその支配下に入りました。
アクイレイア大聖堂
アクイレイア総大司教座が置かれて高い宗教的な権威を有していましたが、マジャール人の侵攻などで総大司教座がウーディネに遷されました。
アクイレイア大聖堂
アクイレイア総大司教座は1751年に廃止され、これ以降アクイレイアは小さな町として歩み続けることになります。
アクイレイア大聖堂の建築
アクイレイア大聖堂は、5世紀の小さな教会を前身として11世紀に建造され、14世紀に大規模な改築が行われました。5世紀の洗礼堂の遺跡は異教徒の聖堂と呼ばれる聖堂と柱廊の回廊で繋がり、聖堂のファザードは14世紀の大改修により、ロマネスク様式とゴシック様式が混在しています。鐘楼は9世紀に建てられたもので、高さ9メートルあります。アクイレイア大聖堂はアッティラ率いるフン族の攻撃により破壊されましたが、1909年に4世紀初頭に製作されたモザイクタイルが発見されて脚光を浴びました。
アクイレイア大聖堂
聖堂内部は1つの身廊と2つの側廊からなり、1526年に建造された天井は木製の梁が露出しています。
アクイレイア大聖堂
身廊の床は314年に製作された動物や鳥、貴族の肖像、幾何学模様などの美しいモザイクタイルで埋め尽くされています。