ファドゥーツ
ファドゥーツは、ライン川上流に位置するリヒテンシュタインの首都です。ライン河沿いの低地帯からオーストリア国境の山岳地帯まで変化に富んだ地形で、平野には農耕地帯が広がります。法人税が安いタックスヘイブンとして知られ、全国民の直接税が免除される裕福な都市です。
概要
- 面積
- 17.3km2
- 標高
- 455m
- 人口
- 5,450人 (2017年)
- 地図
歴史
リヒテンシュタインはリヒテンシュタイン侯爵家が国を統治しており家名が国名になる珍しい国です。ハプスブルク家に仕えた重臣で、現在地をリヒテンシュタイン侯領となりました。ナポレオン戦争でファドゥーツを首都とするリヒテンシュタイン公国となり、第一次世界大戦を経てリヒテンシュタイン侯爵家はファドゥーツ城を住まいとしました。
リヒテンシュタイン家
リヒテンシュタイン家は、12世紀にドイツ系ボヘミア貴族シュヴァルツェンベルク家ハインリヒが、ウィーン近郊にあるリヒテンシュタインに居住したことに始まります。シュヴァルツェンベルク家は14世紀からはオーストリア当主ハプスブルク家に仕え、カール1世は神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の顧問官などの要職に就き、ボヘミアなどに広大な所領を得て1608年に侯爵の地位を与えられました。カール1世は1618年から30年続いたカトリックとプロテスタントの宗教戦争である三十年戦争において、オーストリア皇帝のボヘミア総督として参戦しました。
リヒテンシュタイン城
ウィーン近郊にある古城で、12世紀にドイツ系ボヘミア貴族シュヴァルツェンベルク家ハインリヒが居城としました。
カール1世
プロテスタントの領土を接収することで所領を増やし、ハプスブルク家の帝国諸侯に取り立てられました。
リヒテンシュタイン候領の誕生
カール1世の孫ヨハン・アダム・アンドレアスは、自らの国家を持ちたいと考えるようになり、オーストリア西端のシュレンベルク伯領を1699年に購入し、1712年にはファドゥーツ伯領を購入しました。この2つの所領を受け継いだアントン・フローリアン侯爵は、1719年に神聖ローマ帝国カール6世の勅命によりリヒテンシュタイン公に叙され、2つの所領は帝国内の一つの領邦国家であるリヒテンシュタイン候領と認められました。
ヨハン・アダム・アンドレアス
シュレンベルク伯領とファドゥーツ伯領を購入してリヒテンシュタイン公国の基礎をつくりました。
ファドゥーツ市街
リヒテンシュタイン候領となりましたが、閑静な農村地帯のためリヒテンシュタイン公はウィーンの宮殿に住み続けました。
リヒテンシュタイン公国の独立
1789年に勃発したフランス革命によりナポレオンが台頭すると、リヒテンシュタイン候領はナポレオンに占領されました。1806年に神聖ローマ帝国が解体されるとナポレオン主導によりライン同盟が結成し、リヒテンシュタインは主権独立国家として独立することになります。やがてナポレオンの失脚でライン同盟が解消されると、リヒテンシュタインは1815年に成立したドイツ連邦に加盟しました。しかしドイツ連邦の主権を巡りプロイセンとオーストリアの関係が悪化すると、1866年に普墺戦争に発展しました。リヒテンシュタインは地理的な関係やハプスブルク家の縁からオーストリア側に付きましたが、オーストリアが敗れてドイツ連邦が解体されると、リヒテンシュタインは軍隊を放棄して永世中立国を宣言しました。
ファドゥーツ市街
神聖ローマ帝国が解体されるとナポレオン主導によりライン同盟が結成すると独立国家になりました。
ファドゥーツ大聖堂
1874年に守護聖人フローリヌスを祀るため建設されました。
第一次世界大戦
1914年にサラエボでオーストリア皇太子が暗殺されたことを発端として第一次世界大戦が勃発すると、リヒテンシュタインは中立を宣言しました。しかしオーストリアと緊密な関係にあることから、連合国はリヒテンシュタインに禁輸して経済に大きな打撃を与えました。これを受けて1919年にリヒテンシュタインはオーストリアとの関税同盟を解消して1923年にスイスと関税同盟や通貨同盟を締結します。1938年にオーストリアがナチス・ドイツに併合されると、リヒテンシュタイン公フランツ・ヨーゼフ2世はウィーンを離れて初めてリヒテンシュタイン公が本国に居住するようになりました。
ファドゥーツ城
12世紀頃には築城されていたリヒテンシュタイン公爵家の居城で、現在もリヒテンシュタイン侯爵家が生活をされています。
ファドゥーツ城
リヒテンシュタイン公フランツ・ヨーゼフ2世はウィーンを離れて初めてリヒテンシュタイン公が本国に居住するようになりました。
リヒテンシュタインの現在
第二次世界大戦では中立を維持しましたが、第二次世界大戦が終結するとチェコスロヴァキアとポーランドはリヒテンシュタイン家が1938年までウィーンに居住していたことを理由に資産をドイツ所有物とみなしてボヘミアなどの領土や資産を没収しました。リヒテンシュタインは財政難に陥り、フランツ・ヨーゼフ2世は所有していた美術品を売却するなど経済の建て直しを図りました。現在では法人税が低いタックスヘイブンであることから多くの企業が移転し、世界の金融センターとして発展しました。リヒテンシュタインのGDPは世界第二位の誇り、国民の平均年収は1000万円を超えるほど裕福な国に成長しました。
シュテットレ通り
多くの人が集まる街の中心部で、国会議事堂と大聖堂がある観光地です。
シュテットレ通り
世界一美しいと言われる切手が売られ、観光案内所ではパスポートに記念スタンプを押してもらえます。