ベルン
ベルンはスイスの首都で、蛇行するアーレ川のほとりに築かれた街です。その起源は12世紀に遡りアルトシュタット(旧市街)には中世の建築が保存されています。ベルンはヨーロッパで最も美しい緑と花の町とも称され、旧市街は1983年に世界遺産に認定されています。
概要
- 面積
- 51.6km2
- 標高
- 540m
- 人口
- 13.31万 (2017年)
- 地図
歴史
ツェーリンゲン公ベルヒトルト5世が建造したベルンは、クマ(ベール)から名付けられました。中立的な国家として戦禍を免れた都市は、中世ヨーロッパにおいて各地で拡大していく都市の発展モデルとも言われます。往時の姿を残しながらもスイスの首都として現代都市の機能を兼ね備えている点も高く評価され1983年に文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録されました。
ハプスブルグ家の支配まで
ベルンの周辺はケルト系のガリア人が居住していました。紀元前1世紀にユリウス・カエサルなどによるローマの侵攻を受け、ケルト人はヨーロッパ西端に追いやられ、ベルン周辺はローマの属州となりました。ローマ帝国が東西に分かれると西ローマ帝国の支配下となりますが、ゲルマン人の度重なる侵攻により西ローマ帝国が崩壊すると、ゲルマン系のブルグンド王国が建国されました。534年にブルグンド王国がフランク王国により滅ぼされるとフランク王国の支配を受けますが、フランク王国では国王が崩御すると子供たちに土地が分裂されたため、スイス各地には小領主の支配する邦が形成されました。
スイス出身のハプスブルク家が神聖ローマ皇帝になると、スイス全土は神聖ローマ帝国の支配下となりました。ハプスブルグ家は本拠地をウィーンに移してからもスイスに支配し続けました。10世紀頃からスイス諸邦はハプスブルク家からの独立を目指す運動が強まりますが、スイスの独立は1499年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に勝利したシュヴァーベン戦争まで待つことになります。
ベルン市街
旧市街にはアーレ川が流れています。
ベルン旧市街の建設
ベルンは1191年に領主であるツェーリンゲン公ベルヒトルト5世がドイツ、イタリア、ブルゴーニュを結ぶ交通の要衝に建造した町です。アーレ川に囲まれた小高い丘ニィデックに築かれていた12世紀の砦を中心として、森を切り開いて町を建設し、町の名前は最初の狩りの獲物であるクマ(ベール)からベルンと名付けられました。
ベルヒトルト5世が死去して家系が断絶すると、1218年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によりベルンは自由都市として一定の自治を認められました。1405年に大火災が起こり木造の町を焼き尽くしたため、石造りで堅固に再建された町並みが現在に残されています。
ニィデック教会
ニィデック城の跡に建てられました。
ベルン市街
強固な石造りの建物が残されています。
時計台(ツィットグロッゲ)
ベルン旧市街のランドマーク的な存在であるツィットグロッゲは、ベルン西壁の門塔として1218年から1220年にかけて建てられました。現在の外観は1405年の大火災で再建されたもので数多くの改修にもかかわらず、この古代の時計塔は今でも時間を刻んでいます。
時計台の天文時計は時間、季節、天文現象を示すほか4分おきに人形が動き出します。ツィットグロッゲがあるクラムガッセ(通り)は、中央にモニュメントがある噴水が一定間隔で設置され、通りの両脇には建物が並ぶ美しい景観を生み出しています。
ツィットグロッゲ
中心的な通りクラムガッセにあります。
ツィットグロッゲ
時計のほかに季節や天文現象を現します。
宗教改革
アーレ川のほとりにある小さな礼拝堂をベルン大聖堂に建替える工事が1421年に進められました。度々の工事の中断によりベルン大聖堂は1893年に完成することになります。16世紀のマルティン・ルターによる宗教改革はスイスにも大きな影響を与え大規模な宗教戦争へと発展しました。1618年に諸国を巻き込んだ三十年戦争に発展すると、ベルンには西の城壁の外にふたつの星形要塞が建造されました。
1648年に三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約が締結されたことで、神聖ローマ帝国からドイツ諸侯は完全な主権が認められ、スイスはオランダとともに正式に神聖ローマ帝国から独立が確認されました。こうして神聖ローマ帝国の権力は失われたため、ウェストファリア条約は神聖ローマ帝国の死亡証明書と呼ばれています。
ベルン大聖堂
スイス最大規模の後期ゴシック教会です。
ベルン大聖堂
正面扉にある最後の晩餐の石の彫刻が有名です。
首都ベルンと物理学の奇跡
フランスでナポレオンが台頭すると1798年にベルンが陥落してスイスにはヘルヴェティア共和国が設立されました。ナポレオンが失脚すると1815年に開催されたウィーン会議でスイスは独立と永世中立が承認され、1848年にスイス連邦が成立するとベルンが首都に選ばれました。ベルンには建築家アオアーの設計により1852年から連邦議会議事堂(ブンデスハウス)の建築が始まり1902年に完成しました。
第一次世界大戦や第二次世界大戦の戦禍を免れたベルンには、天才物理学者アインシュタインが1903年から約3年間、妻ミレーバとともに住みました。ベルンの特許庁に勤務していたアインシュタインは1905年に光量子説にもとづく光電効果の理論、ブラウン運動の理論、特殊相対性理論という偉大な理論を生み出しました。アインシュタインがベルンで過ごした1905年は物理学の奇跡の年と言われています。
ブンデスハウス
スイス連邦議会の議事堂です。
アインシュタインハウス
アインシュタインが3つの理論を生み出しました。