ティンプー
ティンプーは標高2300メートルの高地にあるティンプー盆地に町が造られたブータン王国の首都です。ブータン最大の都市ですが60年ほど前に古都であるプナカから遷都されました。1990年代後半から急速な発展を見せにぎやかな街となりました。
概要
- 面積
- 26.1km2
- 標高
- 2,334m
- 人口
- 11.46万 (2017年)
- 地図
歴史
ティンプーは18世紀頃まで僧侶が活動する小さな村でした。1907年にブータンが国家として独立すると、ブータン近代の父と言われる3代国王ジグメ・ドルジ・ワンチュクがティンプーの都市整備を始めてプナカから首都を遷しました。政治や宗教の中心となるタシチョ・ゾンや3代国王を記念したメモリアル・チョルテンが建てられ、世界一の坐像ブッダ・ドーデンマが建造されています。
ブータン建国と首都ティンプー
ブータンはチベット(吐蕃)の一つの地域で、746年にパドマサンバヴァがチベット仏教(ニンマ派)を伝えてチベット仏教が浸透していきました。ティンプーは18世紀頃までは僧侶たちの宗教活動の中心地として、僧院などがある小さな村でしかありませんでした。1616年に高僧ガワン・ナムゲルが実権を掌握すると、ウゲン・ワンチュクが1833年にブータン最後の内戦チャンリミタンの戦いで内乱を鎮めてブータンを一つの国家として纏めました。1907年に初代国王に選出されたガワン・ナムゲルは各地にゾンと呼ばれる城塞を建設していき、1950年代の3代国王ジグメ・ドルジ・ワンチュクはティンプーの都市整備を進めて首都をプナカからティンプーに遷しました。
ティンプー市街
僧院などがある小さな村でしかありませんでしたが、現在は首都として伝統的な建築物が並ぶ都市となりました。
ティンプー市街
1950年代に首都となりましたが、のどかな町であることは変わらず、世界で唯一、首都に信号がありません。
タシチョ・ゾン
タシチョ・ゾンはブータンの政治と宗教を司る国の中央政庁です。現在のデチェン・ポダンに建てられたドゲン・ゾンが1641年に初代国王ガワン・ナムゲルのものとなり、1950年代に3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクが整備を進めて、祝福を受けた砦を意味するタシチョ・ゾンと呼ばれるようになりました。タシチョ・ゾンは中央政庁として国王の執務室があり、ブータン宗教界の権威であるジェ・ケンポ大僧正を頂点とするブータン仏教界(ドゥク派)の総本山でもあります。
タシチョ・ゾン
釘を使わずに木材を組み合わせるブータンの伝統工法で建築された建物で、中央省庁とドゥク派の総本山があります。
タシチョ・ゾン
1771年に現在の地に移転し、その後も増改築が繰り返されたことで現在見られるような姿になりました。
メモリアル・チョルテン
近代ブータンの父と言われる第3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクは、混乱していたブータンで憲法改革を行いました。ブータン古来の伝統文化を尊重しティンプーに国立図書館・国立公文書館を建設するなど首都を整備しました。1973年にジグミ・ドルジ・ワンチュクが亡くなると、亡き国王を記念してゴンゾク・チョルテンと呼ばれるメモリアル・チョルテンが建造されました。
メモリアル・チョルテン
近代ブータンの父と言われる国王を記念して建てられました。3層の塔はブータン仏教の3大宗派の教えを表現しています。
マニ車
参拝者はマニ車を回転して経典を読んだ功徳が得て、メモリアル・チョルテンを周回して片隅で五体投地で祈りを捧げます。
ドチュ・ラ
15世紀には酒と女が好きな遊行僧ドゥクパ・クンレーがこの峠を歩いて各地を巡り布教したと言われ、古くから交通の要衝でした。4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクは、ブータン南部の密林を拠点するゲリラ部隊を掃討するため、2003年に第2次ドゥアール戦争ををおこしました。ドチュ・ラにはブータンの勝利を意味するドゥク・ワンゲル・チョルテンが建てられ、108基のチョルテン(仏塔)と仏教寺院が建てられています。
ドゥク・ワンゲル・チョルテン
王妃アジ・ドルジ・ウォンモが4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクを顕影するためブータンの勝利を意味する仏塔を建てました。
ドゥク・ワンゲル・ラカン
第2次ドゥアール戦争で犠牲となったブータン兵とゲリラ兵を弔うために建てられたラカン(寺院)です。
ドチュ・ラから見るヒマラヤ
ドチュ・ラは標高3100メートルあるティンプーとプナカの間にある峠で、7000メートルを越えるヒマラヤ山系が一望できます。ドチュラ・リゾートは峠の茶屋のようなホテルで、テラスからヒマラヤ山系を眺めることができます。
ドチュラ・リゾート
ドチュ・ラにある10室ほどでシンプルなホテルで、テラスの望遠鏡からヒマラヤ山脈を眺めることができます。
Khang Bum
6,494m
Jejekangphu Gang
7,194m(ジェジェカンプーカン)
Gangchey Ta
6,794m
Gankar Punsum
7,239m(ブータン最高峰のガンガ・プンスム)
不明
不明
Masang Gang
7,194m(マサカン)
Tshenday Gang Group
6,994m
Teri Gang
7,094m(テリカン)
Table Mountain
7,094m
ブッダ・ドーデンマ
19世紀にインド北部のアッサムやベンガルを植民地としたブータンは、1864年にインドの植民地を進めるイギリスと第1次ドゥアール戦争に発展しました。敗れたブータンは1865年にシンチュラ条約を締結し、アッサム、ベンガル、ドゥアールの領土を喪失する代わりに年間5万ルピーの補償金を受け取ることになりました。初代国王ウゲン・ワンチュクは1910年にシンチュラ条約の改訂版と言えるプナカ条約を締結してイギリスの保護下に入り現在のブータンの王制が誕生しました。このプナカ条約から百周年を記念して、シンガポールや香港、台湾の仏教徒が寄付してブッダ・ドーデンマが建立されました。
ブッダ・ドーデンマ
2007年から建造されて2010年に開眼供養されました。高さは約51メートルで世界一大きな座像と言われます。
クエンセル・ポダンの丘
ブッダ・ドーデンマが安座したクエンセル・ポダンの丘からは、ティンプー渓谷に広がる市街地を見下ろすことができます。