シントラ

シントラは首都リスボンに隣接する都市です。ポルトガル王家の避暑地として城跡や王室の離宮など歴史的建造物が多くあります。シントラの美しい町は、1995年にシントラの文化的景観として世界遺産に登録されました。
概要
- 面積
- 319.2km2
- 標高
- 207m
- 人口
- 363,749人
- 地図
歴史
全体が世界遺産に登録されているシントラは、ポルトガル王家の夏の避暑地として愛された風光明媚な山間の町です。8世紀にイベリア半島に侵入したイスラム勢力のムーア人が城塞を建設したことに始まり、1147年に初代ポルトガル国王アルフォンソ1世がリスボンを奪回してポルトガル王国に併合しました。
シントラの形成
アフリカ北西部に住んでいたイスラム勢力のムーア人は、711年に西ゴート王室の内紛に乗じてジブラルタル海峡を渡りイベリア半島に侵攻しました。ムーア人はイベリア半島のほぼ全域を支配して、この頃にシントラの町が形成したと言われています。8世紀にムーア人が建築した砦は、10世紀に城塞化されて拠点となりました。キリスト勢力はレコンキスタを起こして国土回復を図り、1147年にアフォンソ・エンリケス王がイスラム勢力による支配を終わらせました。

ムーアの泉
イスラム建築の様式を取り入れた美しい装飾が施された噴水です。1922年に建築家アンリ・レオンが設計しました。

ムーア人の城
10世紀頃にイスラム勢力のムーア人が険しい岩山に建造した城塞跡で、1109年にはノルウェーのシーグル1世が攻撃しました。
王家の避暑地とシントラ宮殿
泉が湧く緑の丘にあるシントラは、13世紀ころから王室の避暑地として栄えました。英国の詩人バイロンはこの世のエデンと称えています。11世紀にムーア人支配者の住居をディニス王が手を加えて、14世紀にエンリケ航海王子の父ジョアン1世が夏の離宮として増改築しました。

シントラ宮殿
14世紀にエンリケ航海王子の父ジョアン1世が夏の離宮として増改築しました。2本の巨大な煙突が特徴的な宮殿です。

シントラ宮殿
16世紀の大航海時代で巨万の富を得たマヌエル1世は、莫大な富をつぎ込んでシントラ宮殿を増改築しました。宮殿には、白鳥の間、鵲の間、アラビアの間が残されています。
シントラ宮殿と天正遣欧少年使節
15世紀から19世紀後半にかけて、ポルトガル王家がシントラ宮殿を住まいとしました。16世紀に日本にキリスト教が伝来すると、大村純忠らキリシタン大名は4人の少年を天正遣欧少年使節としてヨーロッパに派遣しました。1582年に長崎港を出発した天正遣欧少年使節は、1584年にシントラ宮殿を訪ねたのちローマへと向かいました。

シントラ宮殿
内装には高価なアズレージョ(装飾タイル)が多用され中庭や各部屋にも華やかな装飾が施されており大航海時代の繁栄を偲ばせます。

シントラ宮殿
1584年に天正遣欧少年使節としてヨーロッパに派遣された4人の少年がローマに向かう途中に訪れました。
ペナ宮殿
1755年のリスボン大地震でシントラは大きな被害を受けました。マヌエル1世が建設した修道院は大崩落して廃墟と化したため、1836年にフェルディナンド2世がペナ宮殿に改築しました。1910年にポルトガル共和国が宣言されて君主制が廃止されるまで、ペナ宮殿はポルトガル王家の住まいとして使われました。

ペナ宮殿
標高529メートルの山頂にマヌエル1世が建設した修道院を前身としています。リスボン市街や大西洋を望むことができるため、天空の宮殿と呼ばれます。

ペナ宮殿
イスラム、ゴシック、マヌエル、ルネサンスなどの様式が混在するカラフルな宮殿で、宮殿の内部にはチャペルもあります。
レガレイラ宮殿
17世紀に王族の別荘として建てられた館は、1715年にフランシスコ・アルベルト・ギラマインス・デ・カステロが買い取り水路を作りました。その後はポルトワイン商人の娘に相続され、レガレイラ宮殿の女爵の称号が授けられました。20世紀初めにブラジル出身の富豪アントニオ・カルヴァーリョ・モンテイロが買い取り、イタリアの建築家ルイジ・マニーニが改装しました。レガレイラ宮殿は、ゴシック、ルネサンス、マヌエルなどの建築様式が混在し、秘密結社やテンプル騎士団のシンボルが施されています。

レガレイラ宮殿
17世紀にポルトガル王族の別荘として建てられ、20世紀初めにブラジル出身の富豪アントニオ・カルヴァーリョ・モンテイロが買い取りました。

レガレイラ宮殿
1715年にフランシスコ・アルベルト・ギラマインス・デ・カステロが買い取り、広い庭園には深い井戸があります。