富良野市

富良野市は北海道のほぼ中心にあり富良野盆地の中心都市です。東方に十勝岳連峰の富良野岳、西方に夕張山地の芦別岳が聳え、市域の7割は山林が占めます。豊かな自然で育まれたワインやチーズなどが特産で、美しい景観はテレビドラマ北の国からのロケ地に採用されました。
概要
- 面積
- 600.71km2
- 人口
- 20,598人(2022年1月31日)
- 市の木
- イチイ、ホオノキ
- 市の花
- エゾムラサキツツジ
- 市の鳥
- クマゲラ
- 市の獣
- エゾリス
- 地図
歴史
アイヌ語で臭くにおう泥土を意味するフーラヌイと呼ばれた富良野は、アイヌの人びとも生活せずに広大な原野が広がりました。明治時代に福岡の中村千幹が入植して富良野原野の開拓を始め、鉄道の開通とともに市街地が形成しました。農地が広がる美しい景観はテレビドラマの舞台ともなり、観光資源としても活用されています。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
東麓郷1遺跡・東麓郷2遺跡から旧石器時代の黒曜石などの石器群が見つかりました。縄文時代には河岸段丘や扇状地などに定住をはじめ、無頭川遺跡や鳥沼遺跡などで住居跡や墳墓などが見つかります。
古墳時代、飛鳥時代
北海道には稲作農耕が定着せず続縄文時代となりますが、富良野地方の遺跡は非常に少ないです。
奈良時代、平安時代
北海道では続縄文時代から鉄の道具を中心とした擦文時代に移行していきましたが、富良野地方では擦文土器は見つかりません。サケが獲れない富良野地方は、生活の場としてはあまり使われませんでした。
鎌倉時代、南北朝時代
13世紀前後に擦文文化は衰退し、アイヌ文化が成立したと考えられていますが、現在のところアイヌ文化期の遺跡は見つかりません。
室町時代、安土桃山時代
特に記録は見つけられませんでした。
江戸時代
安政4年(1857年)に松田市太郎が美瑛川上流から十勝岳に登頂して硫黄を持ち帰りました。翌年に松浦武四郎が富良野地方の調査が行われましたが、アイヌ民族の定住は認められませんでした。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治29年(1896年)に富良野原野の殖民区画が設定され、翌年に福岡の中村千幹が扇山地区に入植して開拓を始めました。明治33年(1900年)に十勝線が開通すると市街地が形成しました。大正6年(1917年)に兜谷徳平らが低地の泥炭地から水を抜くための排水溝工事を行い、大正10年(1921年)に用水路が完成して米作地帯が形成していきました。昭和41年(1966年)に富良野町が山部町と合併して富良野市が誕生しました。