空知郡

北海道の中央部よりやや西南に点在しています。石狩平野にある南幌町と奈井江町、夕張山地の北西側の上砂川町、北海道のほぼ中央部にある上富良野町、中富良野町、南富良野町から構成されます。季節による寒暖の差が大きく冬は道内有数の豪雪地域となりますが、肥沃な大地を活かして農業が盛んに行われています。
概要
- 面積
- 1,220.82km2
- 人口
- 32,786人(2021年)
- 含む町村
- 南幌町、奈井江町、上砂川町、上富良野町、中富良野町、南富良野町
- 地図
歴史
明治時代に屯田兵や入植者が開拓をはじめられ、冷害に強い稲作技術が確立して米作地帯に発展しました。幌内炭鉱を皮切りに空知地方の各地で炭鉱の開発が進められ炭鉱業が栄えましたが、昭和30年代の最盛期を境に衰退していきました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
先土器時代の遺物として、草分三遺跡から黒曜石の石核が見つかり、日の出三遺跡や東中二遺跡などから有舌尖頭器が見つかります。縄文時代に定住をはじめ、東山遺跡などから石刃鏃が見つかり、本幸1遺跡などから平底の貝殻文土器が出土しています。
古墳時代、飛鳥時代
北海道には稲作農耕が定着せず、続縄文時代となりました。
奈良時代、平安時代
北海道では続縄文時代から鉄の道具を中心とした擦文時代に移行していきましたが、富良野地方では擦文土器は見つかりません。サケが獲れない富良野地方は、生活の場としてはあまり使われませんでした。
鎌倉時代、南北朝時代
13世紀前後に擦文文化は衰退し、アイヌ文化が成立したと考えられています。
室町時代、安土桃山時代
特に記録は見つけられませんでした。
江戸時代
安政4年(1857年)に松浦武四郎がトミハセやシリアイノらの案内で空知川を調査をはじめ、翌年に富良野地方の調査が行われましたが、アイヌ民族の定住は認められませんでした。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治時代になり移住者が相次いで開拓が進められました。明治19年(1886年)に新潟からの移住者が越後村を開き、明治26年(1893年)に角田石川氏が集団入植して幌向村を開拓しました。明治28年(1895年)に富山の伊藤喜太郎が中富良野を開拓、明治30年(1897年)に三重の田中常次郎らが上富良野を開拓、明治32年(1899年)に福井の山内甚之助らが上砂川町を開拓しました。寒冷地の開拓は困難を極めたうえ、大正15年(1926年)の十勝岳の大噴火で山麓の残雪が泥流となり開拓地も大きな被害を受けました。
炭鉱の開発
明治20年(1887年)に上砂川炭田が発見され、明治28年(1895年)に奈井江炭田が発見されるなど炭鉱の町として発展しました。明治32年(1899年)に富良野線が開通し、昭和5年(1930年)に夕張鉄道が開通しますが、エネルギー革命の急速な進行により炭鉱は閉山に追い込まれました。
ファーム富田
明治36年(1903年)に富田徳馬が中富良野原野の開拓を開始し、昭和27年(1952年)から中富良野でラベンダー栽培が始まり、昭和33年(1958年)から富田忠雄がラベンダー栽培を本格的に開始しました。
ファーム富田
昭和51年(1976年)に旧国鉄のカレンダーにラベンダー畑の風景が採用され、テレビドラマ北の国からのロケ地ともなり全国で知られるるようなりました。