亀田郡

亀田郡は北海道渡島半島の南部に位置する七飯町から構成され、北部には活火山の駒ヶ岳と大沼を有する大沼国定公園が広がります。温暖な気候で豊かな自然に恵まれ、森林資源が豊富で男爵いも発祥の地として農業が盛んです。
概要
- 面積
- 216.75km2
- 人口
- 28,032人(2021年)
- 含む町村
- 七飯町
- 地図
歴史
ロシア人技師ガルトネルが洋種農作物の栽培を行い、北海道の開拓史において非常に重要な役割を果たした日本の近代農業発祥の地として知られています。明治初めの箱館戦争では、峠下や七重などで旧幕府軍と新政府軍による激戦が繰り広げられました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
縄文時代早期の聖山遺跡や国立療養所裏遺跡、桜町遺跡などが残されています。寒冷な北海道は稲作農耕が定着せず狩猟や採集を生活基盤とした続縄文時代が続きました。
古墳時代、飛鳥時代
北海道では続縄文時代が続き狩猟採集の文化が続きました。
奈良時代、平安時代
13世紀にアイヌ文化が生まれ、漁撈や狩猟採集をしていた人びとは和人と交易を行いました。
鎌倉時代、南北朝時代
13世紀前後に擦文文化は衰退し、アイヌ文化が成立したと考えられています。
室町時代、安土桃山時代
14世紀から15世紀に和人が道南地方に移住するようになりました。安東氏一族の下国政季が小さな城を築いて支配する基盤をつくり、天正3年(1575年)には大中山に三嶋神社が勧請されました。
江戸時代
安政3年(1856年)に駒ヶ岳が大噴火を起こし、留の湯客30名あまりが亡くなりました。ロシアなどの外国船が訪れるようになり、寛政11年(1799年)に幕府が蝦夷地を直轄領としました。文化5年(1808年)に倉山卯之助が杉や松を育成し、安政5年(1858年)に栗本鋤雲が七重御薬園を開きました。安政元年(1854年)に日米和親条約が締結して外国船が来航するようになると、翌年には箱館奉行所を設置して本土からの移住の推奨と蝦夷地の開拓を進めました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治元年(1868年)に江戸幕府が滅亡すると、旧幕府軍の大鳥圭介が峠下で松前藩兵を破り五稜郭に入り立て籠もりました。旧幕府軍は榎本武揚を総裁とする箱館政権を樹立し、明治新政府との箱館戦争に発展しました。ドイツ人のラインハルト・ガルトネルは旧幕府軍の榎本武揚と七重村開墾条約を締結し、全国に先駆けて西洋農法を取り入れて西洋りんごや男爵いもを日本で初めて栽培しました。明治2年(1869年)に蝦夷地が北海道と改められ亀田郡が成立し、ガルトネルが開園した農園は明治政府が買収して官営となりました。

北海道昆布館
平成5年(1993年)から令和2年(2020年)まで営業していた昆布専門店です。昆布ミュージアムやドーム型の映画館イマジカドームがありました。

流山温泉
平成14年(2002年)から平成27年(2015年)まで営業していた温泉です。世界的に有名な石の彫刻家・流政之が手掛けた不思議な建造物です。