歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

白石市

宮城県白石市の碧玉渓

白石市は宮城県の内陸部の南端に位置し、蔵王連峰と阿武隈山脈に囲まれた白石盆地にあります。白石城下町として繁栄して武家屋敷などが残り、弥治郎こけしや白石和紙のほか白石温麺が特産です。鎌先温泉と小原温泉、白石湯沢温泉の3つの温泉地があります。

概要

面積
286.48km2
人口
32,032人(2022年2月1日)
市の木
ブナ
市の花
ヤマブキ
市の鳥
ウグイス
地図

歴史

伊達政宗の智将・片倉小十郎景綱を初代城主とした白石城下町として栄えました。戊辰戦争では奥羽25藩が白石城に集まり奥羽越列藩同盟が結ばれましたが、戊辰戦争後は家屋と生活の糧を失う藩士の多くが北海道で苦難の開拓を強いられました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

蔵王山東麓は豊かな環境に恵まれ、白石川支流周辺に人の営みが残されています。縄文時代早期の松田遺跡や複式炉を持つ住居跡が多数検出された縄文時代中期の菅生田遺跡などがあります。弥生時代に農耕文化が広がり、斎川周辺から石包丁が見つかりました。

古墳時代、飛鳥時代

鷹巣古墳群、斎川地区の亀田古墳群などが造営されました。造営年代は明らかではありませんが、60基あまりの郡山横穴古墳群が造営されました。

宮城県白石市の鷹の巣古墳群

鷹の巣古墳群

5世紀後半から7世紀頃まで鷹巣丘陵に造営された古墳群で、鷹の巣古墳群で最大の瓶ヶ盛古墳は帆立貝式の前方後円墳です。

奈良時代、平安時代

養老5年(721年)に柴田郡から苅田郡が分割されて苅田郡が成立しました。刈田郡衙が置かれて多くの瓦や倉庫跡などが発見されています。平安時代後期に刈田経元が源義家から白石を与えられ、6代目から白石氏と称しました。文治5年(1189年)に源頼朝が奥州藤原氏を征伐するため国見宿に着陣しました。藤原泰衡の異母兄西木戸太郎国衡が源頼朝を迎え撃ちましたが、奮戦むなしく敗れて奥州藤原氏は滅亡しました。

鎌倉時代、南北朝時代

奥州平定により源頼朝の支配下となりました。幕府は砂金や馬を年貢として収取し、これが幕府の重要な財源の一つとなりました。執権北条氏の勢力拡大に伴い地頭の配置換えがしばしば行われ、鎌倉末期までに奥羽の大半は北条得宗領となりました。

室町時代、安土桃山時代

白川犬卒都婆地区で中世陶器を大規模に生産した東北古窯跡群が形成しました。白石氏は伊達氏の勢力下となりましたが、天正19年(1590年)の豊臣秀吉による奥州仕置で蒲生氏の支配下となりました。蒲生氏郷が死去して蒲生氏が宇都宮に移封されると、上杉氏が治めて甘粕景継が治めました。慶長5年(1600年)に徳川家康が上杉景勝を攻めることを決定すると伊達政宗が奪い返し、伊達政宗の叔父・石川昭光の統治を経て、慶長7年(1602年)に片倉小十郎景綱が治めました。

宮城県白石市の白石城

白石城

白石氏の館跡を蒲生郷成が近代式平山城に改修しました。伊達家家臣・片倉小十郎景綱が居城とすると、仙台藩主が宿泊するための御成御殿が置かれました。

宮城県白石市の田村清顕公の墓

田村清顕公の墓

仙台藩主伊達政宗の正室愛姫の父である三春城主田村清顕をはじめとする田村家の墓所があります。田村清顕没後に田村領は没収されて伊具郡に身を潜めたとされます。

江戸時代

慶応4年(1868年)に長州や薩摩を中心とした新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争が起こると、新政府軍は幕府軍を各地で破り、破れた幕府軍は東北方面に逃げて会津が幕府軍の拠点となりました。仙台藩主と米沢藩主は奥羽25藩に呼びかけて白石城で列藩会議を開いて白石同盟を結び、やがて越後国の藩も加わり30を超える藩が参加する奥羽越列藩同盟に発展しました。長州藩士の世良修蔵は強硬派として知られ、仙台藩士により殺害されました。

宮城県白石市の白石城

白石城

幕末に集結した奥羽25藩の重臣が列藩会議を開いて白石同盟が結ばれ、盟主として輪王寺宮公現入道親王を迎えて同盟の拠点となりました。

宮城県白石市の喜多の墓

喜多の墓

白石城主片倉小十郎景綱の異父姉であり、伊達政宗公の乳母でもある喜多の墓です。文武を兼ね備えた女性で、政宗に嫁いできた正室の愛姫付きとなりました。

宮城県白石市の片倉家御廟所

片倉家御廟所

白石城が見える愛宕山山麓に造営された片倉家の墓所です。延宝8年(1680年)に初代景綱の命日に景綱と二代重長の墓が改葬されたことに始まります。

宮城県白石市の奥羽越列藩同盟旗

奥羽越列藩同盟旗

奥羽越列藩同盟は苦戦し、藩が新政府に加担するなど内部分裂も起きました。主力の仙台藩は降伏し、列藩同盟は崩壊して白石城は明け渡されました。

明治時代、大正時代、昭和時代

戊辰戦争後に白石県から角田県となり、明治4年(1871年)に仙台県となりました。生活の糧を失う白石藩士は北海道に渡るか農民に帰農するか二択を迫られました。北海道に入植した人びとは困難を乗り越えて札幌市白石区や登別市を開拓しました。