名取市

名取市は宮城県の中央南部に位置し、太平洋沿岸の臨空都市です。名取川・阿武隈川の両水系に囲まれた肥沃な大地が広がり、東北一の生産量を誇るカーネーションをはじめ、みやぎ米、タケノコ、セリ、ミョウガなどの農産物が有名です。漁業も盛んで港には毎日新鮮な魚介類が水揚げされています。
概要
- 面積
- 98.17km2
- 人口
- 78,606人(2022年2月1日)
- 市の木
- クロマツ
- 市の花
- ハナモモ
- 地図
歴史
東北地方で最大の前方後円墳である雷神山古墳をはじめとした多くの古墳が造営されました。伊達氏と相馬氏が抗争を繰り返し、最終的に伊達氏が支配して仙台藩の領地となりました。平成23年(2011年)の東日本大震災で、沿岸部の閖上地区などで甚大な津波被害を受けました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
愛島丘陵の野田山遺跡から旧石器時代後期のナイフ形石器などが出土しています。愛島丘陵の平坦部などに縄文時代前期の大規模集落群である今熊野遺跡などが形成しました。弥生時代に稲作農耕が伝わり、十三塚遺跡や原遺跡などの遺跡が35カ所も確認されています。
古墳時代、飛鳥時代
気候が寒冷化して生活の糧となる稲作農耕を行うには厳しい環境にありましたが、95カ所で遺跡が確認されています。愛島丘陵北東端の飯野坂古墳群では、3~4世紀に5基の前方後円墳が連続して築造されました。5世紀になると方形周溝墓は姿を消し、5世紀後半から活発に古墳が築造されるようになりました。7世紀には前方後円墳から横穴式石室をもつ円墳や横穴墓が築造されるようなりました。

飯野坂古墳群(観音塚古墳)
飯野坂古墳群は、前方後方墳5基と方墳2基が隣接して分布しています。観音塚古墳は最も北東側にあり、飯野坂古墳群で最古の古墳と考えられています。

飯野坂古墳群(山居古墳)
観音塚古墳とほぼ並列している前方後円墳です。住宅地内の緑地として現状保存されました。葺石や段築は認められず、埴輪などの外表施設も出土していません。

飯野坂古墳群(宮山古墳)
飯野坂古墳群の中央部に位置し、南側にはカラト塚古墳があります。宮山古墳の南東側には横穴式石室と頭椎大刀が出土した山囲古墳がありました。

飯野坂古墳群(薬師堂古墳)
飯野坂古墳群の最も南東側にある古墳で、飯野坂古墳群で最も大きな古墳です。後方部がほぼ方形をしており、前方部は後方部より一段低く設けられています。

雷神山古墳
4世紀末から5世紀前半に築造されたと考えられ東北最大規模の前方後円墳です。仙台平野一帯のかなり広い地域を統治した地方豪族の首長の墓と考えられています。

小塚古墳
雷神山古墳に埋葬された首長の親族、臣下を埋葬または副葬品を埋納するために築造された陪塚で、雷神山古墳に包含する形で国の史跡に指定されています。
奈良時代、平安時代
8世紀のはじめに名取郡が成立して、律令体制に組み込まれました。貞観11年(869年)の貞観地震で大きな被害を受け、10世紀初めには十和田火山の爆発で火山灰で水田が埋もれました。愛島丘陵北側の沖積台地などに集落が形成しました。

熊野那智神社
養老3年(719年)に閖上の漁夫が海底から御神体を引き上げて高舘山に宮社を建てて羽黒大権現として祀り、名取老女が熊野三社を勧請して改称したとされます。

中将藤原朝臣実方の墓
藤原実方は和歌に優れた才能がありましたが、天皇より陸奥守に任ぜられ陸奥国へ下りました。源氏物語の主人公・光源氏のモデルともいわれています。
鎌倉時代、南北朝時代
文治5年(1189年)に源頼朝が奥州藤原氏を滅亡に追い込み、名取郡は和田氏や三浦氏に与えられました。鎌倉時代後期になると、幕府で最も権力を持つ北条氏の領地となりました。鎌倉幕府が滅亡すると、南朝方の伊達氏が名取郡にも侵攻して戦いとなりました。
室町時代、安土桃山時代
14世紀後半に相馬氏が影響を与えましたが、天文9年(1540年)から伊達氏と争うようになりました。永禄7年(1564年)に相馬盛胤は座流川で伊達晴宗を破りましたが、最終的に伊達氏が支配下に置いて仙台藩の版図となりました。
江戸時代
仙台藩は陸奥国の主要道である奥州街道を整備し、増田宿を設けました。名取川や広瀬川の舟運と閖上湊が整備され、仙台城下の外港として位置づけられました。17世紀後半には新田開発が進められ、河川改修や用水路が開削されました。材木や米などの集積地で漁港として知られる木曳堀を前身とする貞山運河は、60キロにわたる日本最長の運河となりました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)の廃藩置県により仙台藩が仙台県となり、翌年に宮城県に改称されました。明治9年(1876年)に東北地方を巡幸された明治天皇が菊地善蔵宅で休憩されました。昭和4年(1929年)に閖上港が開設しました。昭和33年(1958年)に名取市が誕生しました。平成23年(2011年)の東日本大震災で、沿岸部の閖上地区などで甚大な津波被害を受けました。