大館市

大館市は秋田県北部に位置し、四方を山に囲まれた盆地の中央を秋田三大河川である米代川が貫いています。飼い主亡き後も渋谷駅の前でその帰りを待ち続けた忠犬ハチ公の故郷であり、秋田の郷土料理であるきりたんぽの発祥の地です。
概要
- 面積
- 913.22km2
- 人口
- 65,765人(2023年9月1日)
- 市の木
- 秋田杉
- 市の花
- キク
- 地図
歴史
旧石器時代、縄文時代、弥生時代

矢石館遺跡
米代川支流の早口川沿いにある墓域を持つ縄文時代後期の集落跡地で、川原石を組んで作られた石棺墓が5基や2基の環状組石が発見されました。
古墳時代、飛鳥時代
奈良時代、平安時代

矢立廃寺跡
天治2年(1125年)から承安5年(1175年)頃に存在していた寺院で、醍醐天皇の側近、無等良雄(万里小路藤原藤房)が出家して遁世した場所と言われます。
鎌倉時代、南北朝時代
出羽国比内郡は、甲斐国浅利郷を本拠としていた浅利頼遠が源平合戦の恩賞として比内郡を貰い受けて一族が下向してから比内浅利家が支配しました。
室町時代、安土桃山時代
浅利則頼が勢力を拡大して全盛期を築きますが、嫡男浅利則祐が家督を相続すると腹違いの弟浅利勝頼と対立して内乱となりました。浅利勝頼は長年の宿敵安東家と結び、永禄5年(1562年)に兄浅利則祐を攻めて自害に追い込み安東家に従属しました。
安東氏と南部氏の抗争
浅利勝頼は安東家から独立を目指して津軽家と結んで安東家と交戦するようになり、天正10年(1582年)に安東愛季は浅利勝頼を檜山城に招いて謀殺しました。五十目秀兼が大館城主となりますが、天正16年(1588年)に南部氏に内応して南部氏配下の北信愛が城代となりました。その2年後に南部氏の騒動に乗じて秋田氏(安東氏)が再び大館城を奪還するなど、大館城を巡り抗争が続きました。

大館城跡
天正10年(1582年)に浅利勝頼が築城し、南部氏と安東氏で争奪戦が繰り返されました。江戸時代の一国一城令でも存続が認められました。
江戸時代

安藤昌益墓
安藤昌益は著書の自然真営道で、万人が自ら耕作して食料や衣服を自給する自然の世を理想として、力の強い武士が弱い農民を支配して搾取し栄華を極める現実を否定しました。
明治時代、大正時代、昭和時代
慶応4年(1868年)の戊辰戦争で南部氏が大軍で攻めてきたため、大館城代の佐竹義遵(佐竹大和)は大館城に火を放ちました。

鳥潟会館(旧鳥潟家住宅)庭園
宝暦11年(1761年)頃に建造された旧主屋を鳥潟隆三が曳き屋して増改築し、昭和11年(1936年)に小川治兵衛門下の粕谷幸作が池泉回遊式庭園を造営しました。