男鹿市

男鹿市は秋田県臨海部のほぼ真ん中にあり、日本海に突き出る独特な地形をしています。日本海で獲れるハタハタ・タラ・カニなどの海産物のほか梨やメロンなどの農産物が名産です。奇岩怪石や洞窟の連なる海岸線に半島のシンボル寒風山からの壮大な眺望が堪能できる土地で、古来からの風習なまはげの郷でもあります。
概要
- 面積
- 241.09km2
- 人口
- 23,022人(2023年9月1日)
- 市の木
- 杉
- 市の花
- つばき
- 市の鳥
- アオサギ
- 地図
歴史
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
古墳時代、飛鳥時代
奈良時代、平安時代
鎌倉時代、南北朝時代
室町時代、安土桃山時代
天文22年(1553年)に檜山安東家の当主となる安東愛季は、能代湊の整備拡大を行い交易と津料徴収などで財力を蓄えて米代川流域の支配力強化を図りました。能代湊は蝦夷地や北方諸国との交易を行い北日本最大の港湾都市となり、土崎湊は出羽国南部や本州との交易を行い日本海側最大の港湾都市として栄えました。
湊騒動
弟の安東茂季を湊安東家に送り込んで安東家を統一しますが、元亀元年(1570年)に湊家安東氏に不満がある湊城付近の国人が挙兵して第一次湊騒動が起きました。安東愛季の跡を安東実季が継ぐと、天正17年(1589年)に従兄弟の安東通季が反乱を起こして第二次湊騒動が起こりました。安東実季は土崎に湊城を築城して秋田に改姓し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属して、慶長7年(1602年)に常陸国宍戸に転封となりました。

脇本城跡
男鹿半島の付け根にある東北最大級の山城で、天正5年(1577年)に安東愛季が14世紀半ばの城郭を大改修して居城としました。