湯沢市

湯沢市は秋田県東南端に位置する豪雪地帯で、小野小町の生誕の地といわれます。日本三大うどんの稲庭うどん、東北の灘とも呼ばれるほどの酒造り、川連漆器など伝統の技が今も大切に受け継がれています。
概要
- 面積
- 790.91km2
- 人口
- 39,344人(2023年9月1日)
- 市の木
- ケヤキ
- 市の花
- サクラ
- 市の鳥
- 山鳥
- 地図
歴史
旧石器時代、縄文時代、弥生時代

岩井堂洞窟
雄勝川右岸に所在する縄文時代の洞窟遺跡で、沢地にある約80メートルに及ぶ凝灰岩の露頭に大小4か所の洞窟(第1洞〜第4洞)が並んでいます。
古墳時代、飛鳥時代
奈良時代、平安時代
鎌倉時代、南北朝時代

磨崖
元享2年(1322年)に造営された磨崖で、2名の尼僧が死後の逆修供養のために高さ6メートル、幅5メートルほどの安山岩に梵字を刻みました。

嘉暦元年の板碑
嘉暦元年(1326年)に製作された高さ165メートル、幅105センチの安山岩の板碑で、金剛界大日如来と薬師如来の梵字が刻まれています。
室町時代、安土桃山時代
稲庭城を本拠としていた小野寺氏は湯沢城へ本拠を移して雄勝の支配を進め、さらに横手盆地を手中に収めるため横手城へと本拠地を移しました。文禄4年(1595年)に最上義光の侵攻を受けて湯沢城は落城し、楯岡満茂が城主となりました。

湯沢城跡
小野寺氏が稲庭城の支城として築いた城で、最上氏の侵攻で落城しました。佐竹氏の転封で佐竹義種が城代となりますが、元和6年(1620年)の一国一城令で破却されました。
江戸時代
福井県越前国から雄勝町小野の知人に身を寄せていた村山宗兵衛は、慶長11年(1606年)に雄勝川の上流で大鉱脈の院内銀山を発見しました。幕府から銀鉱石の採掘を認められた久保田藩は、銀山奉行を定めて掘り出しを行い藩の財政を支える屋台骨となりました。

一里塚
慶長9年(1604年)に徳川家康が奥州とその他御道筋諸藩に命じて1里ごとに築かせた標点で、樹齢400年の槻ノ木(ケヤキ)が植えられています。

院内銀山早房坑
早房坑は院内銀山で最も古い坑道の一つです。院内銀山で掘り出される銀は天下の御役山と称され、石見銀山や生野銀山とともに日本三大銀山と呼ばれました。

院内関所跡
院内銀山で銀の採掘が始まると羽州街道の出入りを監視する関所が設けられました。院内関所は院内銀山で働く工夫の逃亡を監視する役割もありました。

金山神社
慶長12年(1607年)に創建した銀山の総鎮守で、藩主の尊崇が篤く直筆の書などが奉納されました。文政13年(1830年)に米沢屋倉松が現在の社殿を手掛けました。
明治時代、大正時代、昭和時代
院内銀山の採掘は、明治12年(1879年)にドイツ人技師バンザーとロージングにより最新機械で採掘が行われました。明治17年(1884年)に古河鉱業の古河市兵衛に払い下げられて近代的な鉱山経営が行われました。一時的に日本一の生産量を誇りましたが次第に産出量が減少していき、昭和29年(1954年)に完全閉山しました。

旧院内銀山跡
明治14年(1881年)に明治天皇が銀山五番坑に御幸されました。明治天皇が入坑された9月21日は全国の鉱山記念日となり、五番坑は御幸坑と呼ばれるようになりました。