鹿角市

鹿角市は秋田県北部に位置する特別豪雪地帯で、十和田八幡平国立公園が広がる自然豊かな地域です。農村地帯でありながら尾去沢鉱山をはじめとする東洋屈指の鉱業のまちで、火山活動を続けている八幡平の近くでは後生掛温泉や玉川温泉などの良質な温泉が湧出しています。
概要
- 面積
- 707.52km2
- 人口
- 27,057人(2023年9月1日)
- 市の木
- ナナカマド
- 市の花
- ベニヤマザクラ
- 市の鳥
- 声良鶏
- 地図
歴史
狩猟採集していた人びとは集落を形成し、環状列石を造営するようになりました。鉱物資源に恵まれ、奈良時代に発見された国内最大級の銅鉱床の尾去沢鉱山は中尊寺金色堂や奈良の大仏の歴史的建造物に使われ、明治時代には日本の産業近代化を支える重要な役割を担いました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
縄文時代中期には天戸森遺跡や下内野Ⅳ遺跡で大規模な集落が形成し、縄文時代後期には大湯環状列石や高屋館跡に環状列石が造営されています。大湯環状列石は万座環状列石と野中堂環状列石の2つの環状列石を主体とする大規模な遺跡で、掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓などが同心円状に配置されていました。

大湯環状列石(万座)
約6千5百個の石材を使用した直径約52メートルのストーンサークルです。数個から数十個からなる組石の1つ1つが墓であり、その集合体が環状列石を成します。

大湯環状列石(野中堂)
約2千個の石材が使用された最大径44メートルの環状列石で、環状列石の南側30メートル地点からは配石遺構群が見つかりました。
古墳時代、飛鳥時代
古墳文化圏には含まれず、北海道を中心とする続縄文文化圏の影響を受けていました。
奈良時代、平安時代
大和王権の影響を受けるようになり、秋田県で唯一墳丘が現存する三光塚古墳が造営されました。延喜15年(915年)に十和田火山が噴火して毛馬内火砕流を引き落としました。火山泥流が大湯川・米代川で大洪水を引き起こして沿岸の人家を埋没するなどの大きな被害を引き起こしました。

尾去沢鉱山
和同元年(708年)に発見された国内最大級の鉱脈型銅鉱床の採掘跡で、採掘された金は中尊寺金色堂や奈良の大仏にも使われました。
鎌倉時代、南北朝時代
奥州征伐で奥州藤原氏が滅亡すると、関東御家人である成田氏・安保氏・奈良氏・秋元氏が鹿角地方の地頭として入部しました。安保氏の長子は大里上総、次子は花輪次郎、三子は柴内弥次郎の祖になり阿保三人衆と呼ばれました。

谷内の磨岩仏
岩面に線刻された磨岩仏は死者の菩提を弔うために造られたもので、境内の板碑の紀年銘から鎌倉時代末期に造立されたと考えられています。
室町時代、安土桃山時代
安東愛季に与していた花輪親行は、永禄9年(1566年)に南部氏の長牛館を攻めましたが、永禄11年(1568年)に南部氏の鹿角侵攻に敗れて南部氏の支配下となりました。天正18年(1590年)に南部氏の家督争いで九戸政実が挙兵して大里親基も呼応しますが、乱は鎮圧されて大里親基は九戸政実と共に処刑されました。

天照皇御祖神社
かつて谷内観音堂と呼ばれていました。永禄7年(1564年)に谷内観音堂の戦いで秋田近秀に焼かれ、天正2年(1574年)に天照皇御祖神として再建されました。

大里城跡
安保氏の一族である大里上総の居館で、九戸の乱が鎮圧されると浅野長政の家臣・内山助右ヱ門による鹿角の館崩しで破却されました。
江戸時代
天正18年(1590年)に南部信直の家臣・大光寺正親が花輪館の当主となり、慶長3年(1598年)に尾去沢鉱山の本格的な開発が始まりました。鹿角はそのまま南部藩に組み込まれ、明暦3年(1657年)に毛馬内九左衛門長次、延宝2年(1674年)に中野吉兵衛康敬が入り、明治維新を迎えるまで中野氏が秋田藩境の守備に当たりました。
戊辰戦争
戊辰戦争で奥羽越列藩同盟を脱退して新政府側についた秋田藩に侵攻するため、奥羽越列藩同盟に加盟する南部藩は鹿角市を通過して比内や大館に攻め込みました。やがて奥羽越列藩同盟は降伏し、鹿角郡は盛岡藩から没収されて秋田藩に組み込まれました。

花輪館跡
安保氏の一族である花輪次郎の居館で、南部氏統治下で大光寺正親が城主となりました。九戸政実の乱の後も破却されずに秋田藩境の守備を担いました。

旧関善酒店
安政3年(1856年)に創業した造り酒屋の主屋で、昭和58年(1983年)まで営業して地域の政治・経済・文化の発展に寄与しました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治20年(1887年)に古河市兵衛が不老倉鉱山の経営をはじめ、明治22年(1889年)に三菱財閥の岩崎家が尾去沢鉱山の鉱業権を取得し、大規模な投資と最新技術の導入で日本の産業近代化を支える重要な役割を担いました。大正時代中期に鉄道が敷設され、商業が発達しました。昭和47年(1972年)に花輪町、十和田町、尾去沢町、八幡平村が合併して鹿角市が発足しました。

旧鹿角郡公会堂
大正5年(1916年)に大正天皇御大礼記念として建築された木造平屋の建物で、平成29年(2017年)から市歴史民俗資料館として利用されています。