歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

大仙市

秋田県大仙市の払田柵跡

大仙市は秋田県の内陸南部に位置し、東の奥羽山脈と西の出羽山地に挟まれます。雄物川とその支流である玉川が貫流して農村地帯を形成し、全国屈指の米の収穫量を誇ります。日本最高峰の全国花火競技大会である大曲の花火が開催されることでも知られます。

概要

面積
866.79km2
人口
73,735人(2023年9月1日)
市の木
ケヤキ
市の花
コスモス
市の鳥
カワセミ
市の歌
夢、この大地
市の記念日
3月22日
地図

歴史

古くから交通の要衝で、蝦夷の人びとを支配する払田柵が築造されました。武家社会が成立すると小豪族が支配し、安東氏や小野寺氏が対峙する抗争の地となりました。江戸時代末期には新政府軍と奥羽越列藩同盟が熾烈な戦いを繰り広げています。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

旧石器時代から人が生活しており、米ヶ森遺跡や小出Ⅰ遺跡などが数件確認されています。縄文時代前期の上ノ山Ⅱ遺跡から北海道日高地方を原産地とするアオトラ石(緑色岩)を加工した磨製石斧が出土し、野口Ⅱ遺跡からは新潟県糸魚川市周辺から持ち込まれたヒスイの大珠が確認されています。弥生時代は宇津台遺跡や星宮Ⅰ遺跡がありますが、この時代の様相はあまり明らかではありません。

古墳時代、飛鳥時代

古墳時代や飛鳥時代に属する遺跡は確認されておらず様相は不明です。

奈良時代、平安時代

東北地方には蝦夷と呼ばれる人たちが住んでおり、諸又遺跡で在地集落の一部が確認されています。神亀元年(724年)に多賀城を設置して支配領域の拡大に着手し、天平宝字3年(759年)に横手盆地に雄勝城を築いて拠点としました。延暦20年(801年)にアテルイとモレが坂上田村麻呂に降伏して処刑されると、文室綿麻呂が出羽権守として派遣されて払田柵を築造しました。払田柵跡の北西方にある半在家遺跡などから平安時代の水田跡が確認されています。

秋田県大仙市の払田柵跡

払田柵跡

律令国家が東北地方を支配する拠点の一つで、日本海側の秋田城と太平洋側の胆沢城と志波城を結ぶ横手盆地の重要基地として機能していました。

秋田県大仙市の四十二館跡

四十二館跡

古代から中世の豪族の居舘跡で水堀が縦横に巡らされており、後三年合戦の沼柵跡や清原氏の居宅跡という説があります。

鎌倉時代、南北朝時代

奥州征伐で奥州藤原氏が滅亡すると関東御家人が入部し、大曲城の前田氏、楢岡城の楢岡氏、太田城の太田氏などの小豪族が成立しました。南外地域は大畑古窯跡や甕コ沢窯跡などが存在し、雄物川水運を利用して製品が運搬されたと考えられています。

秋田県大仙市の大畑古窯跡

大畑古窯跡

鎌倉時代の地上式の窖窯で、焼かれた陶器は雄物川水運を利用して秋田市域に供給され、地域の文化とも密接に関係しています。

室町時代、安土桃山時代

安東氏や戸沢氏、小野寺氏が勢力を拡大して小豪族が三大勢力と激しく争いました。太田氏は太田城を拠点に戸沢氏の家臣として統治しましたが、安東氏や小野寺氏が対峙する要衝であり抗争の地となりました。太田城は豊臣秀吉の支城破却令で廃城となりました。

江戸時代

雄物川の舟運で栄えていた大曲は、羽州街道から角館街道や沼館街道に分かれる起点として、交通の要所の宿場町として発展しました。万治元年(1658年)に武藤弥助が弥助堰を整備して新たな村ができましたが、秋田藩と亀田藩で境界争いが絶えませんでした。

戊辰戦争

戊辰戦争が東北地方にもおよぶようになり、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍が熾烈な戦いを繰り広げました。小種地区は1ヶ月ほど激戦が続き、戊辰戦争における秋田藩内の戦死者の半数に及びます。秋田藩士の竹村庫之丞は偵察役として参加し、味方に危急を知らせる途中に銃弾に倒れました。

秋田県大仙市の一里塚

一里塚

一里塚は江戸日本橋を起点として1里ごとに主要道路の両側に塚を築いて木を植えた標点で、神岡の一里塚は羽州街道沿いに築かれたものです。

秋田県大仙市の心像市道の窯跡

心像市道の窯跡

明和8年(1771年)に白岩窯を開窯した松本運七が悪戦苦闘しながら白岩焼の試作を繰り返した窯跡で、近世秋田の陶業発祥の地と言われています。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治4年(1871年)の廃藩置県で秋田県が成立しました。明治9年(1876年)に荒川鉱山が盛岡商人の瀬川安五郎に払い下げられ、大鉱脈の発見により国内有数の銅鉱山として栄えました。明治29年(1896年)に東北地方最大規模の内陸直下型地震である陸羽地震が発生しました。東北三大地主の池田氏は陸羽地震で主屋が倒壊したことを契機として屋敷地を拡張しました。平成17年(2005年)に大曲市と仙北郡6町1村が合併して大仙市が誕生しました。

大曲の花火大会

江戸時代にはすでに秋田でも普及していた花火は、東北で有名な花火師が一堂に会して花火を打ち上げる催し物として、明治43年(1910年)に第1回奥羽六県煙火共進会が開催されました。大正4年(1915年)の第4回大会から全国煙火競技大会と名称を変え、全国規模の花火大会へと発展しました。第二次世界大戦で一時中断しましたが、昭和21年(1946年)から全国花火競技大会として再開されました。

秋田県大仙市の旧池田氏庭園

旧池田氏庭園

本間氏や齋藤氏とともに東北三大地主と称される池田氏が、明治29年(1896年)の六郷大地震を契機に屋敷地を拡張して長岡安平が設計した庭園を造営しました。