山本郡

山本郡は秋田県北西部の日本海側に位置し、北部には白神山地が広がります。内陸から緩やかに傾斜した地形で、清らかな川が日本海や八郎湖に流れ込みます。鉱業や林業のほか稲作や野菜の栽培が盛んで、菌床しいたけは東北有数の産地でもあります。
概要
- 面積
- 764.25km2
- 人口
- 22,753人(2023年9月1日)
- 含まれる町村
- 藤里町、三種町、八峰町
- 地図
歴史
世界遺産白神山地に代表されるブナ林が育んだ北東北の縄文文化は、大和王権の影響が及ばずに長らく続きました。未開の地は戦いに敗れた落ち武者が落ち延びる地ともなりましたが、鉱物資源に恵まれることがわかり開発が進められました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
北東北の縄文文化は、世界遺産白神山地に代表されるブナ林が育んだ文化だと言えます。縄文時代後期の室岱遺跡や晩期の一ノ渡遺跡など後半期の遺跡が目立ち、縄文時代後期から晩期の海浜集落である高石野遺跡からは全国的に珍しい土笛が出土しています。

白神山地
世界最大級の原生的なブナ林が分布し多種多様な動植物が生息・自生するなど貴重な生態系が保たれており、平成5年(1993年)世界自然遺産に登録されました。

萱刈沢貝塚遺跡
日本海沿岸に残る数少ない貝塚のひとつで、竪穴式住居跡やフラスコ状ピットなども見つかり、縄文前期から中期に大規模な集落を形成していました。
古墳時代、飛鳥時代
大和王権の影響が及ばずに続縄文時代が続き、狩猟や採集を主体とした独自の文化が形成されたと考えられています。
奈良時代、平安時代
仁寿3年(853年)に慈覚大師円仁が白瀑神社や松源院を創建しました。素波里神社は慈覚大師円仁が不動明王を祀り創建したとされ、一説では前九年の役で敗れた安倍一族が不動明王を持ち込んで創建された説もあります。

白瀑神社
慈覚大師円仁が創建した日本国内でも珍しい神域に豪快な瀑布を持つ神社です。みこしの滝浴びが行われることでも知られ、江戸時代には菅江真澄も訪れました。
鎌倉時代、南北朝時代
文治5年(1189年)の奥州合戦を経て、多くの関東武士が地頭となりました。山本郡北部には中原親能が入り、南部には二階堂行政が入りました。
室町時代、安土桃山時代
甲斐武田氏の滅亡に伴い武田重左衛門が落ち延びました。武田重左衛門は安東実季に取り立てられて、慶長元年(1596年)に本館城を任されましたが、慶長10年(1605年)の百姓一揆で落城して武田重左衛門も命を落としました。
江戸時代
藤里町名不知地域は豊臣方の落ち武者が住み着いたといわれ、落ち武者が隠れ住んだ相沢与四兵衛屋敷跡や九戸の乱で落ち延びた九戸政実一族の姫君が匿われた月宗寺があります。文永年中(1264~74年)に開山した太良鉱山から銅や鉛を主とする鉱物が供給され、享保3年(1718年)に発見された八森銀山の産銀などとともに秋田藩の重要な収入源となりました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治21年(1888年)に発盛鉱山が開発されて銀の採掘がはじまり、明治41年(1908年)頃には単一鉱山として産銀量が日本一となりました。昭和27年(1952年)に石油採掘中に突然湧き出した森岳温泉は、秋田の奥座敷として親しまれました。昭和38年(1963年)の集中豪雨で粕毛川と藤琴川が甚大な被害を受けたのを契機に、昭和45年(1970年)に素波里ダムが完成しました。