南秋田郡

南秋田郡は秋田県のほぼ中央に位置し、出羽丘陵の美しい山並みを背景に中心を馬場目川が流れる自然豊かな低地の町です。大潟村は田畑を含めた湿地性里山にあり海水や淡水で土地が冠水したり一定期間冠水する低地で八郎潟町は干潟の八郎潟が広がります。
概要
- 面積
- 449.98km2
- 人口
- 20,250人(2023年9月1日)
- 含まれる町村
- 五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村
- 地図
歴史
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
中山遺跡(縄文時代)
古墳時代、飛鳥時代
奈良時代、平安時代
中谷地遺跡(奈良・平安時代)

岩野山古墳群
八郎潟東岸の台地先端部に立地する群集墳で、8世紀半ばから9世紀前半に築造された土壙墓が30基以上確認されておりています。

雀館古代井戸
。
鎌倉時代、南北朝時代
室町時代、安土桃山時代
安東愛季の家臣である藤原秀盛は、天正10年(1582年)に浅利勝頼が謀反を起こしたあと、比内代官として浅利氏の居城である大館城に入り比内地域の統治に当たりました。天正16年(1588年)の湊安東氏の湊騒動以降に藤原秀盛が八郎潟地方の五城目地域を支配するようになり、地名に因んで五十目氏を名乗り五十目秀兼となりました。五十目秀兼は主君安東実季と不和になり南部信直に内応して南部勢である大光寺光親を比内地域に引き入れ、一時的に比内地域が南部氏の支配下になる原因を作りました。

五城目城
藤原秀盛が安東愛季の命で当地を任されて築城した城で、慶長6年(1601年)に秋田氏の転封により五十目氏もこの地を去り破却されました。

雀舘主郭跡
馬場目川がある小高い丘に整備された五城目城の支城で、現在は雀舘公園として整備されています。主郭らしき空間と平坦な曲輪のような遺構や土塁跡が見られます。