歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

雄勝郡

秋田県雄勝郡の夢仙人大橋

雄勝郡は秋田県南部の内陸部に位置する県内屈指の豪雪地帯です。東成瀬村は美しい星空日本一に認定され、豊かな森林と水環境に恵まれた生活空間が残されています。日本三大盆踊の一つ西馬音内盆踊りが開催されます。

概要

面積
434.47km2
人口
15,434人(2023年9月1日)
含まれる町村
羽後町、東成瀬村
地図

歴史

奥州藤原氏征討の戦功を得た小野寺氏が支配を確立し、西馬音内は城下町として商業が発展しました。豊作を祈願する踊りと領主小野寺氏を偲んだ踊りが融合した西馬音内盆踊りや修験者が伝えた仙道番楽など、独自の文化を育んでいきました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

古くから人の営みがあり、旧石器時代後期の石器が出土しています。上掵遺跡で北海道日高地方だけにある緑色岩のアオトラ石で作られた石器が見つかりました。

古墳時代、飛鳥時代

大和王権の影響が及ばずに続縄文時代が続き、狩猟や採集を主体とした独自の文化が形成されたと考えられています。

奈良時代、平安時代

延暦21年(802年)に坂上田村麻呂が胆沢城を築城したとき、雄勝城とを結ぶ最短距離として仙北道が開かれました。前九年の役や後三年の役で源義家が仙北道を使用したとされ、太平洋と日本海を結ぶ軍事道路としての性格がありました。

鎌倉時代、南北朝時代

下野国の小野寺城を基盤としていた小野寺道綱は、文治5年(1189年)に奥州征伐に参加して軍功を挙げて雄勝郡に領地を与えられました。小野寺道綱は承久3年(1221年)の後鳥羽上皇が北条義時征伐の勅命を下した承久の乱で北条泰時の軍に属して京都宇治川の戦いで戦死しました。

秋田県雄勝郡の十三本塚

十三本塚

鎌倉時代に築造されたと考えれる経塚で、現存するのは7号墳のみです。破壊された9号墳は477個の一字一石経と分骨された火葬骨が埋納されていました。

西馬音内小野寺家

宝治元年(1247年)の宝治合戦で三浦氏が滅ぶと、三浦泰村の次男である三浦景泰が姉の夫の小野寺道業の庇護を受けて小野寺経道と名乗りました。嫡男である小野寺忠道を惣領として、小野寺道直が西馬音内に本拠を置いて西馬音内小野寺氏の祖となりました。

室町時代、安土桃山時代

小野寺輝道が横手城を拠点として全盛期を築きますが、北の安東氏と南の最上氏から侵攻されるようになり、天正9年(1581年)に鮭庭秀綱が最上氏に降伏しました。小野寺輝道は織田信長に臣従を申し入れるため上洛しますが、留守を任された小野寺義道が由利十二衆に人質を要求して内乱に発展しました。

小野寺氏の滅亡

小野寺氏は由利衆に人質を返却して求心力を失い、最上義光の謀略により重臣八柏道為を殺害して完全に傾きました。西馬音内城主小野寺茂道は矢島満安を自刃に追い込んだ主家と疎遠になり、文禄4年(1595年)に最上義光が雄勝郡に侵攻したときに最上家に下りました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで小野寺義道が上杉景勝の説得により西軍に参加したため、東軍の最上氏から侵攻されて西馬音内城は落城し、戦後の処分で小野寺家は改易され滅亡しました。

秋田県雄勝郡の西馬音内城跡

西馬音内城跡

建治3年(1277年)に小野寺道直が築城した広大な城郭で、西馬音内川と断崖に守られた天然の要塞でした。

秋田県雄勝郡の矢島五郎満安自刃の地

矢島五郎満安自刃の地

文禄元年(1592年)に由利衆の矢島五郎満安は小野寺義道に謀反の疑いをかけられ、西馬音内城主の小野寺茂道は反発しますが責任を感じて自刃しました。

江戸時代

大部分が久保田藩佐竹氏の支配下となり、矢島藩との境に口留番所を置いて人や物の出入りを厳しく管理しました。久保田藩は新田開発を進めますが、水不足や草刈場の不足で争いが起きました。天保4年(1833年)の天保の大飢饉では、冷害により大凶作に見舞われて多くの人が飢餓に苦しみ亡くなりました。七高山山域は役行者の石像や磨崖仏が造営されて山岳修験の行場のひとつとなり、郷土芸能の仙道番楽は慶長年間に修験者が伝えたとされます。

西馬音内盆踊り

西馬音内盆踊りは、阿波踊り、郡上おどりとともに日本三大盆踊りに数えられます。豊作を祈願した踊りと小野寺氏家臣たちによる領主を偲んだ踊りが融合したものと言われ、令和4年(2022年)に風流踊の一つとしてユネスコ無形文化財に指定されました。

秋田県雄勝郡の黒澤家住宅

黒澤家住宅

黒澤家は18世紀初頭に商業地として栄えた西馬音内の中心部に染屋を開業し、江戸時代後期には肝煎りを務めたと言われています。

秋田県雄勝郡の西馬音内盆踊り

西馬音内盆踊り

彦三頭巾と編み笠で顔を隠して藍染浴衣と端縫い衣装で踊り、端縫い衣装は母から娘に受け継がれるものが多く、中には300年前に造られた衣装もあります。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治4年(1871年)の廃藩置県で秋田県となりました。明治8年(1875年)に柴田与之助らが湯沢製糸会社を設立しました。 平成11年(1999年)に東成瀬村が美しい星空日本一に認定されました。