歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

耶麻郡

福島県耶麻郡の猪苗代ハーブ園

耶麻郡は福島県の北部に位置し、西の西会津町と東の北塩原村、磐梯町、猪苗代町に分断しています。地域全体が磐梯朝日国立公園の一部を形成し、会津富士とも呼ばれる雄大な磐梯山と白鳥が飛来する透明度の高い猪苗代湖を擁する自然景観とリゾートに恵まれた地域です。

概要

面積
986.88km2
人口
24,461人(2022年2月1日)
含む町村
北塩原村、西会津町、磐梯町、猪苗代町
地図

歴史

平安時代初期の南都法相宗の高僧・徳一大師は、慧日寺を創建して会津仏教の拠点としました。慧日寺は武士団を形成してこの地を支配しましたが、平家に与したため源義仲に敗れて衰退していきました。会津地方は佐原氏に与えられ、のちに蘆名氏を称して長らく支配しました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

旧石器時代の山本遺跡や林口遺跡などから石刃などの石器が見つかりました。縄文時代になると、塩喰岩陰遺跡や角間遺跡などが形成していきました。なかでも芝草・小屋田遺跡や上小島遺跡から会津タイプと呼ばれる火炎土器と王冠型土器が見つかり、信濃川流域の火焔型土器との交流が見られます。弥生時代に稲作農耕が伝えられますが、河岸段丘の水利が悪い地域は原野となりました。

福島県耶麻郡の雄国沼

雄国沼

磐梯山の西隣にある猫魔火山の古い火山活動により陥没して生じたカルデラ湖です。周囲の傾斜地には高層湿原が形成し、約300種の植物が群生しています。

古墳時代、飛鳥時代

古墳時代の集落跡は見つかりますが、権力を象徴するような古墳は見つかりません。古墳が造営されていない理由として、会津盆地や中通り地方に権力が集中していたことが考えられています。

奈良時代、平安時代

大同2年(807年)に南都法相宗の高僧・徳一大師が慧日寺を創建して会津仏教の拠点とし、如法寺や勝善寺などの寺院を創建して会津地方を支配していきました。養和元年(1181年)に慧日寺の衆徒頭・乗丹坊が木曽義仲に敗れて戦死したことで慧日寺は衰退していきました。

福島県耶麻郡の慧日寺跡

慧日寺跡

大同2年(807年)に南都法相宗の高僧・徳一大師が創建しました。敷地内には慧日寺を開いた徳一菩薩の墓と伝えられる石塔があります。

鎌倉時代、南北朝時代

文治5年(1189年)に奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝は、奥州征伐で戦功を挙げた三浦一族の佐原十郎義連に会津地方を与えました。のちに下向した佐原一族が蘆名氏や猪苗代氏を名乗り分割統治を始めましたが、これら一族の争いに勝利した蘆名氏が会津地方の覇権を握りました。

福島県耶麻郡の猪苗代城跡附鶴峰城跡

猪苗代城跡附鶴峰城跡

建久2年(1191年)に佐原義連が築城して猪苗代氏が居城としました。尾根を東西に分断する掘切を境として、北の鶴峰城跡と南の猪苗代城が並立しています。

室町時代、安土桃山時代

蘆名家は庶流の北田家や新宮家を滅ぼして会津を統一し、蘆名盛氏はさらに支配域を広げて最盛期を迎えました。蘆名盛氏が亡くなると嫡男が早逝したことで跡継問題が起こり、常陸国佐竹義重の二男義広を当主として迎えたことで佐竹派と伊達派で家臣団の結束が大いに乱れました。天正17年(1589年)に伊達政宗は葦名家の家中の乱れに乗じて蘆名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地としましたが、翌年の豊臣秀吉の奥州仕置により蒲生氏郷が入封し、続いて上杉景勝が入部しました。

福島県耶麻郡の柏木城跡

柏木城跡

天正12年(1584年)に蘆名氏が伊達政宗の侵攻に備えるために築城した山城で、石積石垣を多用して会津防衛の拠点としました。

江戸時代

慶長6年(1601年)に蒲生秀行が再封となり、寛永4年(1627年)から加藤嘉明と加藤明成、寛永20年(1643年)から保科正之が入封して幕末まで松平氏(保科氏)が統治しました。会津と越後を結ぶ越後街道には野沢宿などの宿場町が置かれ、野沢宿では会津塗や桐製品などが製造されて大変賑わいました。大塩地区では温泉水を使用して会津山塩が作られ、会津藩の御用塩となりました。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治元年(1868年)の戊辰戦争で母成峠や戸ノ口原で激戦となりました。ここを突破された会津藩は1か月の籠城の末に降伏して会津藩領は新政府に接収されました。明治2年(1869年)に若松県が誕生して、明治9年(1876年)に福島県に編入されました。

磐梯山噴火

明治21年(1888年)に磐梯山頂北側が水蒸気爆発により山体崩壊を起こして桧原湖などの多くの湖沼群を作りました。遠藤現夢は荒野と化した土地を回復するため、大正9年(1920年)に私財を投じて植林事業を行いました。磐梯山と湖沼群が磐梯朝日国立公園に指定されたことを受け、観光リゾートとして開発が進められました。

福島県耶麻郡の母成峠古戦場

母成峠古戦場

新政府軍と土方歳三率いる新選組を中心とした旧幕府軍が激突しました。母成峠を突破した新政府軍は会津に侵攻し、会津藩は1か月の籠城の末に降伏しました。

磐梯山

磐梯山は福島県の中央に聳える独立峰の活火山で、磐梯は天に架かる岩の梯子を意味します。大同元年(806年)に噴火を起こして多大な被害をもたらし、磐梯明神が祀られて山岳信仰の対象となりました。明治21年(1888年)に磐梯山頂北側が水蒸気爆発により山体崩壊を起こし、岩肌が露出しています。

山行日
2010/06/12
天 候
晴れ
ルート
八方台登山口(07:45)~中ノ湯跡(08:05)~山頂(09:20)~弘法清水(09:55)~お花畑~中ノ湯跡(10:55)~登山口(11:20)
地 図
山と高原地図「磐梯・吾妻・安達太良」
同行者
ひめ
標 高
磐梯山(1818.6m)
福島県南会津郡の磐梯山

磐梯山

磐梯山登山者の8割は八方台登山口を使用しています。緩やかなブナ林の登山道が続き、ブナ林を抜けると硫黄臭が立ち込める中ノ湯跡に到着します。

福島県南会津郡の中ノ湯跡

中ノ湯跡

かつて中ノ湯と呼ばれる温泉旅館がありました。現在も温泉が湧き出ており、水たまりは薄緑色をしています。周囲は硫黄臭が立ち込めています。

福島県南会津郡の櫛ヶ峰

櫛ヶ峰

裏磐梯側との分岐から急登となり、水蒸気爆発と山体崩壊を起こした櫛ヶ峰が眺められます。お花畑もありましたが、訪れたときは時期ではありませんでした。

福島県南会津郡の磐梯山

磐梯山山頂

山頂は磐梯明神が祀られている祠があり、眼下には猪苗代湖や五色沼が見えます。山頂を下れば弘法清水があり、山小屋ではキノコ汁なども販売されています。