歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

大谷の奇岩群と大谷石文化

栃木県宇都宮市の大谷寺(大谷観音)

大谷地区に広く分布する大谷石は柔らかい石質のため、古くから石材として重宝されました。大谷の奇岩群は縄文時代には洞穴が住居や墓地として使用され、平安時代には弘法大師が洞穴の側面に磨岩仏を彫像しています。江戸時代中期からは商業目的で採石されるようになり、明治時代から昭和時代にかけて採石産業が活発化しました。

大谷の奇岩群

大谷地区に広く分布している緑色凝灰岩は大谷石と呼ばれています。大谷石は1500~2000万年前に火山から噴出した火山灰や軽石岩片が海底に蓄積し、固結して生まれました。火山灰や軽石岩片が凝固して生まれた軽くて軟らかい石で、加工がしやすく耐火性にも優れていると言われます。

栃木県宇都宮市の栃木県の大谷の奇岩群(御止山)

栃木県の大谷の奇岩群(御止山)

1500万年ほど前の海底火山の噴出物で生まれ、やがて風雨や河川に浸食されて独特の景観が生まれました。

栃木県宇都宮市の栃木県の大谷の奇岩群(越路岩)

栃木県の大谷の奇岩群(越路岩)

大谷の奇岩群の北端に位置し、松の木が茂る様子から陸の松島と呼ばれます。春先の水田に水を配した時期に、水面に逆さ越路岩を写し出します。

古代の大谷石の利用

大谷石は加工しやすい比較的柔らかい石質のため、縄文時代には洞穴が住居や墓地として使用された痕跡が残ります。古墳時代には石棺の材料として使用され、奈良時代には下野国分寺などの礎石に使用されました。

栃木県宇都宮市の大谷寺洞穴

大谷寺洞穴

大谷寺が創建されている洞穴は、縄文時代草創期の土器や石器のほか縄文時代の屈葬された人骨が発見されました。

栃木県宇都宮市の大谷石の餃子

大谷石の餃子

大谷石は現在も建築物の外壁などで使用されています。宇都宮駅にある宇都宮名物の餃子像も大谷石で加工されています。

大谷寺の磨岩仏

大谷の奇岩群は、奇岩に染み込んだ水が谷から湧き出て川を形成しています。谷には毒蛇が棲みつき、毒蛇が流す毒水が魚や鳥獣を死に至らせるため地獄谷と呼ばれて恐れられていました。弘仁元年(810年)の頃に真言宗の開祖である弘法大師がこの地を訪れると、毒蛇の話を聞いてこれを退治するため地獄谷に入りました。弘法大師が地獄谷を去り村人たちが谷奥に入ると、高い岩山に刻まれている光り輝く千手観音立像を見つけました。

栃木県宇都宮市の大谷磨崖仏

大谷磨崖仏

千手観音のほか釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の十体を総称した日本最古の磨崖仏です。秘仏のため撮影は禁止されています。

地下採掘場跡

大谷石が商業的な目的で採掘が始められたのは江戸時代中期からでした。当初は農閑期に採掘が行われていましたが、明治時代から大谷石は需要が大きく伸び採掘産業が本格化し、昭和40年代には採石産業がピークを迎えました。

天然の冷蔵庫

2万平方メートルの地下採掘場跡は、平均気温8度前後で保たれる天然の冷蔵庫です。この環境を利用して昭和18年(1943年)には陸軍の糧秣廠や被服廠の地下秘密倉庫と使用されました。太平洋戦争末期に中島飛行機の地下軍需工場となりましたが、昭和44年(1969年)からは政府米の保管倉庫として再び活用されるようになりました。

栃木県宇都宮市の地下採掘場跡

地下採掘場跡

大正8年(1919年)から昭和61年(1986年)までの70年にわたり大谷石を掘り出した巨大な地下空間です。

栃木県宇都宮市の地下採掘場跡

地下採掘場跡

地下採掘場の広さは約2万平方メートルあり、高さは最大30メートルあります。ここから切り出した石は1000万本にもなります。

栃木県宇都宮市の手作業の採石作業

手作業の採石作業

昭和35年(1960年)に機械が導入されるまで手作業で採石されました。階段1段ほどの大きさの石を切り出すのにツルハシで4千回叩いて削り出しました。

栃木県宇都宮市の大山阿夫利神社

大山阿夫利神社

明治時代になり採石産業が活発化すると、大谷石採掘の安全を祈願して地元石材採掘業者が大山阿夫利神社を創建しました。

大谷石産業

明治以降は採掘産業として本格化して人車軌道や鉄道等の輸送手段の発達や採掘の機械化により出荷量は飛躍的に増加しました。大谷石は宇都宮のみならず東京や横浜に大量に出荷され、近代化する日本の都市づくりの礎となりました。

栃木県宇都宮市のカトリック松が峰教会

カトリック松が峰教会

明治28年(1895年)に建てられた教会で、聖堂の内外壁には大谷の採石場から切り出された大谷石を使用しています。

栃木県宇都宮市の地下採掘場跡

地下採掘場跡

昭和54年(1979年)に大谷資料館として初めて一般に地下採掘場が公開されると、コンサートや美術展、演劇場、地下の教会として使われています。

大谷平和観音

太平洋戦争が終わると大谷観光協会と地元の熱心な後援により大谷平和観音が建造されました。昭和29年(1954年)に完成した高さ27メートルの大谷平和観音は、太平洋戦争の戦死戦没者の供養と世界平和を祈念しています。東京芸術大学の飛田教授が制作して大谷の石工達が彫刻して、昭和31年(1956年)に日光輪王寺門跡である菅原大僧正により開眼供養が行われました。

栃木県宇都宮市の大谷平和観音

大谷平和観音

昭和29年(1954年)に完成した高さ27メートルの大谷平和観音は、太平洋戦争の戦死戦没者の供養と世界平和を祈念しています。