松戸市

松戸市は東京都と埼玉県に隣接する東葛地域に位置しています。農業が盛んで松戸えだまめや矢切ねぎなどが特産で、二十世紀梨の発祥の地としても知られます。東京都心へのアクセスが良く、首都圏のベッドタウンとしての性質が強いです。
概要
- 面積
- 61.38km2
- 人口
- 496,350人(2021年11月1日)
- 市の木
- シイノキ、ユーカリ、サクラ、ナシ
- 市の花
- ツツジ、アジサイ、ノギク
- 市の鳥
- フクロウ、ツバメ、シラサギ
- 市の日
- 4月27日
- 地図
歴史
古くから街道が通る交通の要衝で、江戸時代には水戸道中の宿場町として松戸宿と小金宿が置かれ、旅籠や商店ができて賑わいました。明治時代から軍都としての性格を強めて空襲被害を受けましたが、戦後の高度経済成長で人口が増加して首都圏のベッドタウンとしての性格を強めました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
人の営みを裏付ける3万年以上前の旧石器が出土しています。縄文海進の影響で西側の中川低地や台地を刻む谷が海でしたが、縄文時代前期には幸田貝塚などで集落を形成しました。農耕文化が伝わると水田や灌漑が整備され、有力者が水田を管理するようになりました。
古墳時代、飛鳥時代
土地を管理していた有力者たちは大和王権と強く結びつくようになり、5世紀中頃から後半に河原塚1号墳などの古墳を造営しました。6世紀には中・小規模の円墳が築かれるようになりました。
奈良時代、平安時代
律令体制の成立すると下総国が成立し、市域は下総国西端の葛飾郡に属しました。平安時代には下総国や常陸国と武蔵国を結ぶ街道が通り、小野遺跡には大規模集落が形成しました。坂花遺跡では火葬骨を納めた骨蔵器が出土しています。
鎌倉時代、南北朝時代
鎌倉幕府の有力御家人となる千葉氏が支配を強化していきました。建治3年(1277年)に日蓮の弟子である日朗が本土寺を創建しました。
室町時代、安土桃山時代
風早氏や相馬氏、矢木氏、冨木氏、曽谷氏、太田氏、円城寺氏、原氏、高城氏などの千葉一族や家臣が勢力を広げました。松戸市域を含む小金領は原氏が治めましたが、やがて高城氏に譲られました。根戸城主の高城胤忠は、応永元年(1394年)に東漸寺を創建しました。
江戸時代
水戸道中の宿場として松戸宿と小金宿があり、銚子で水揚げされた鮮魚を江戸に運ぶ中継地として賑わいました。常盤平や松飛台の高台は幕府直轄の馬の放牧場となりました。江戸川をはさんだ金町村には人と荷物を改める金町松戸関所ができ、入り鉄砲に出女を取り締まりました。慶長年間(1596~1614年)には中野牧が置かれて馬が放牧されました。

矢切の渡し
幕府が設けた利根川水系15ヶ所の渡し場のひとつで野菊の墓の舞台となりました。農民は耕作のため関所の渡しを通らずに自由に行き来できました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治38年(1905年)に松戸競馬場が開設されましたが、大正8年(1919年)に陸軍に接収されて陸軍工兵学校となりました。昭和18年(1943年)に松戸市が誕生しました。昭和20年(1945年)の空襲や疎開で大きな被害を受けましたが、戦後の高度経済成長期に人口が増加し、農村地帯から宅地化が進みました。

旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)
水戸藩11代藩主・徳川昭武が明治時代に建てた戸定邸の庭園で、明治17年(1884年)から本格的な造園が行われました。