歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

豊島区

東京都豊島区の池袋

豊島区は東京23区の西北部に位置する人口密度が国内で最も高い地域の一つです。池袋駅の開業により池袋が副都心として発展し、学習院大学や大正大学、立教大学などの歴史ある大学が点在する文教地域になりました。ソメイヨシノが生まれたほか、有名マンガ家を生んだトキワ荘の跡地など文化的価値の高い観光名所も点在しています。

概要

面積
13.01km2
人口
299,607人(2021年10月1日)
区の木
ソメイヨシノ
区の花
ツツジ
地図

歴史

長閑な農村地帯は、明治時代に東京近郊屈指の酪農地帯に変化し、明治時代後半から東京府豊島師範学校などが設立して文教地区を形成しました。太平洋戦争の空襲で焼け野原になり闇市が自然発生したことで商業地区を形成していきました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

武蔵野台地の一角を占めて多くの川が流れていたため、台地上を中心に人びとが生活し、氷川神社裏貝塚などが造営されました。

古墳時代、飛鳥時代

大規模な古墳は残されていませんが、武蔵野台地に人が生活した痕跡が残されており、池袋本町遺跡は縄文時代から平安時代に至る複合遺跡として知られています。

奈良時代、平安時代

律令体制が成立して武蔵国豊島郡に属しました。律令体制が崩壊すると、坂東八平氏の秩父氏の一族である豊島氏が武蔵国で大きな勢力を誇りました。

鎌倉時代、南北朝時代

豊島氏は鎌倉幕府の御家人に列せられ、豊島荘の支配基盤を固めていきました。

室町時代、安土桃山時代

上杉氏の家宰・太田道灌が豊島領に侵攻し、文明9年(1477年)の沼袋・江古田合戦で豊島氏は敗れて滅亡しました。太田道灌が暗殺されて上杉氏が衰退すると後北条氏が関東に勢力を伸ばしましたが、天正18年(1590年)に後北条氏が滅亡して徳川家康が移封してきました。

江戸時代

幕府領、寺領、旗本領の農村が形成し、江戸市中へ出荷する野菜が盛んに栽培されました。駒込なす・巣鴨だいこん・巣鴨こかぶ・滝野川ごぼう・長崎にんじんなど特産品が生産され、品種改良により日本を代表する桜ソメイヨシノも生まれたとされています。

東京都豊島区の高岩寺(とげぬき地蔵尊)

高岩寺(とげぬき地蔵尊)

正徳5年(1715年)に毛利家の女中の一人が針を誤飲し、僧侶西順が地蔵菩薩の御影を水で飲ませて針を吐き出させて女中の命を助けた伝承が残ります。

東京都豊島区の雑司ヶ谷鬼子母神堂

雑司ヶ谷鬼子母神堂

永禄4年(1561年)に山村丹右衛門が鬼子母神尊像を掘り出したことに始まり、安産や子育てを願う多くの参詣者を集めて賑わいました。

東京都豊島区の服部嵐雪墓

服部嵐雪墓

江戸時代前期の俳諧師で松尾芭蕉の蕉門十哲の一人と称されています。松尾芭蕉の蕉風を継承しつつも独自の表現力で江戸俳壇に影響を与えました。

東京都豊島区の伊藤政武墓

伊藤政武墓

江戸時代中期の園芸家で伊藤伊兵衛の4代目です。園芸植物の種類や栽培方法、観賞法などを纏めた本を書き、ソメイヨシノの誕生にも関与したとされます。

東京都豊島区の尾形乾山墓並びに碑

尾形乾山墓並びに碑

江戸時代中期の陶芸家・書家で、京都で作陶を始めて乾山焼を成立させました。宝暦3年(1753年)から入間郡に移り住んで晩年を過ごしました。

東京都豊島区の司馬江漢墓

司馬江漢墓

江戸時代中期から後期にかけて活躍した画家で、独学で西洋の絵画技法や科学技術を学び日本の洋風表現の道を切り拓いて洋風画の先駆者となりました。

東京都豊島区の遠山景元墓

遠山景元墓

遠山の金さんで知られる人物です。天保11年(1843年)に北町奉行に就任して、天保の改革を主導した水野忠邦と対立しつつ庶民の暮らしを守り抜きました。

東京都豊島区の斎藤鶴磯墓

斎藤鶴磯墓

江戸時代後期から幕末にかけて活躍した儒学者で、水戸藩の藩校である弘道館で教授を務め、水戸学の発展に貢献しました。

明治時代、大正時代、昭和時代

洋食の普及で牛乳が飲まれるようになると、農村地帯は牧場へと変化して東京近郊屈指の酪農地帯になりました。明治時代後半から立教大学や東京府豊島師範学校などが設立して文教地区を形成しました。太平洋戦争の空襲で一面が焼け野原になると、埼玉から持ち寄られた野菜を売る闇市が開かれ、商業地区へと発展していきました。

東京都豊島区の染井吉野の碑

染井吉野の碑

駒込や巣鴨の植木屋が生み出した桜は全国へと広がり、明治33年(1900年)に植物学者・藤野寄命が吉野桜と区別してソメイヨシノと命名しました。

東京都豊島区の雑司ヶ谷宣教師館

雑司ヶ谷宣教師館

明治40年(1907年)にアメリカ人宣教師ジョン・ムーディー・マッケーレブの邸宅で、珍しいカーペンター・ゴシック様式が採用されています。

東京都豊島区の乃木大将経営榊壇

乃木大将経営榊壇

明治43年(1910年)に陸軍大将であり学習院院長の乃木希典が教育理念に基づいて設計、私費を投じて建設したものです。

東京都豊島区のラファエル・ケーベルの墓

ラファエル・ケーベルの墓

ドイツ系ロシア人の哲学者・音楽家で、東京帝国大学で哲学を教えたほか東京音楽学校でピアノや音楽史を教えるなど日本の学術発展に多大な影響を与えました。

東京都豊島区の巣鴨プリズン跡

巣鴨プリズン跡

東京拘置所はGHQに接収されてから巣鴨プリズンと改められ、B級C級の戦犯52名と東条英機ら7名のA級戦犯の死刑が執行されました。