歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

名古屋市

愛知県名古屋市の夜景

名古屋市は日本のほぼ中央に位置する中京圏の政治・経済・文化の中心都市で、全国第3位の人口を誇り日本三大都市のひとつとされます。織田・豊臣・徳川の三英傑のゆかりの地で史跡が多く、独自に発展した食文化・名古屋めしも全国的に知られて人気の観光地となりました。

概要

面積
326.45km2
人口
2,325,434人(2021年11月1日)
市の木
クスノキ
市の花
ユリ
市の歌
名古屋市歌
地図

歴史

徳川家康は名古屋城を築城し、町ごとすべてを移した清須越により町がつくられました。名古屋城は徳川御三家のひとつの居城となり、江戸と京都を結ぶ東街道にあるため全国最大の宿場町として栄えました。明治時代に中川運河が開削されて一大工業地帯を形成するようになり、物づくり産業文化都市となりました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

名古屋市は旧石器時代から人の営みがありました。1~2万年前の縄文時代には名古屋南西部は海が広がり、古代の人びとは集落を築いて漁撈を中心に生活しました。稲作文化が伝わると西区のあたりに最初の集落が営まれています。

愛知県名古屋市の大曲輪貝塚

大曲輪貝塚

縄文時代前期・後期・晩期の貝塚で、周囲には縄文時代の住居跡や墓などがあり集落が広がりました。

愛知県名古屋市の熱田神宮

熱田神宮

景行天皇43年(113年)に創建されたと伝えられ、三種の神器の1つである草薙剣(天叢雲剣)を祀る神社として知られます。

古墳時代、飛鳥時代

5世紀~7世紀にかけて大和王権と強い関係を築いた尾張氏が東海地方最大の豪族として台頭しました。5世紀の中頃には東部丘陵で須恵器などの陶器が焼かれるようになり、大化元年(645年)に律令体制が成立すると尾張国となりました。

愛知県名古屋市の志段味古墳群(白鳥塚古墳)

志段味古墳群(白鳥塚古墳)

4世紀前半の前方後円墳で、東海地方で最初に造られた大型前方後円墳です。愛知県で3番目の大きさを誇ります。

愛知県名古屋市の志段味古墳群(尾張戸神社古墳)

志段味古墳群(尾張戸神社古墳)

4世紀前半の円墳で墳丘は2段に築かれました。斜面の葺石は大振りの角礫が積み上げられ、白鳥塚古墳と同じく多量の石英が撒かれていました。

愛知県名古屋市の志段味古墳群(中社古墳)

志段味古墳群(中社古墳)

4世紀中頃の前方後円墳で葺石の上には石英が撒かれ後円部頂部には石英が敷かれていたとされ、東海地方では最古級の円筒埴輪が見つかりました。

愛知県名古屋市の志段味古墳群(南社古墳)

志段味古墳群(南社古墳)

4世紀中頃の円墳で墳丘は2段に築かれています。円筒埴輪は中社古墳のものと同じ土が使用され、形・製作技法が共通しています。

愛知県名古屋市の八幡山古墳

八幡山古墳

5世紀前半の円墳で、東海地方最大の大きさを誇る名古屋台地を支配した豪族の墳墓です。

愛知県名古屋市の志段味古墳群(志段味大塚古墳)

志段味古墳群(志段味大塚古墳)

5世紀後半の帆立貝式古墳で、武器・武具・馬具が出土したほか小型の土製品を配置する近畿地方の大型前方後円墳と共通する祭祀行為が確認されました。

愛知県名古屋市の断夫山古墳

断夫山古墳

5世紀末~6世紀初頭の前方後円墳で、大和王権と密接な関係の尾張地方の強大な支配者の墓で、日本武尊の妃・宮簀媛の墓との伝承があります。

愛知県名古屋市の志段味古墳群(勝手塚古墳)

志段味古墳群(勝手塚古墳)

6世紀初めの帆立貝式古墳で、墳丘が良好な状態で残存しています。後円部の平坦面にはすき間なく埴輪が並べられていました。

愛知県名古屋市の志段味古墳群(東谷山白鳥古墳)

志段味古墳群(東谷山白鳥古墳)

6世紀末~7世紀初めの円墳で、横穴式石室が志段味古墳群の群集墳のなかで唯一ほぼ完全な状態で残ります。

奈良時代、平安時代

平安時代に各地に荘園が誕生して那古野荘、山田荘、富田荘などが成立しました。鎌倉幕府を開いた源頼朝の母・由良御前は熱田神宮の大宮司・藤原季範の娘で、現在の誓願寺付近が頼朝の出生地とする説があります。

鎌倉時代、南北朝時代

鎌倉と京都を結ぶ鎌倉街道は国内最大の幹線ルートとして発達を遂げ、古渡や鳴海の宿駅は交通・流通の拠点となりました。

室町時代、安土桃山時代

応永7年(1400年)に斯波氏が尾張国守護となり、守護代として織田氏が国内を支配しました。斯波氏は管領を務めた家柄ではありましたが、家督争いで弱体化が進み織田家が台頭しました。永禄3年(1560年)に織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、天下統一の足掛かりをつかみました。

愛知県名古屋市の丸根砦跡

丸根砦跡

今川義元の侵攻で大高城が落ちると、織田信長は丸根砦と鷲頭砦を築いて大高城の松平元康を牽制しましたが、両砦とも今川軍の攻撃で落城しました。

愛知県名古屋市の桶狭間古戦場

桶狭間古戦場

丸根砦と鷲頭砦を攻め落とした今川軍が桶狭間の松林に休憩していたところを織田信長が急襲し、今川義元を討ち取り天下統一への足掛かりとしました。

江戸時代

慶長15年(1610年)に徳川家康が日本最大級の近世城郭である名古屋城を築き、尾張の中心である清洲城下町を名古屋へ移す清須越を行い武士や町人を移転させました。名古屋城の築城に合わせて福島正則を総奉行として堀川の開削が行われました。東海道にある熱田は全国最大の宿場町として栄え、尾張藩や豪商、豪農などにより熱田新田などが新田開発が行われました。

愛知県名古屋市の名古屋城跡

名古屋城跡

徳川家の威信をかけて築城された金鯱を頂く巨大な天守がある近世城郭の完成形といえる城で、御三家筆頭・尾張徳川家の居城となりました。

愛知県名古屋市の名古屋城二之丸庭園

名古屋城二之丸庭園

藩主が居住した御殿に築造された回遊式庭園で、藩主が居住した城内御殿の庭園としては日本一の規模を誇ります。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治4年(1871年)の廃藩置県で名古屋県となり、県庁や自治体施設の整備が行われました。明治11年(1878年)には名古屋区として独立した自主行政を経て、明治22年(1889年)に名古屋市となりました。名古屋市は順調に近代化を果たしましたが、明治24年(1891年)の濃尾地震で多くの建物が倒壊する被害を受けました。

物づくり産業文化都市

大正15年(1926年)に中川運河が起工して名古屋港から名古屋駅までの水運が確保すると、一大工業地帯を形成するようになりました。昭和12年(1937年)に戦前最大の名古屋汎太平洋平和博覧会を成功させ、名実ともに産業文化都市として発展していきました。太平洋戦争や伊勢湾台風で大きな被害を受けつつも復興を遂げ、昭和31年(1956年)に政令指定都市に移行しました。

愛知県名古屋市の揚輝荘

揚輝荘

老舗デパート松坂屋の初代社長・伊藤次郎左衛門祐民が大正から昭和初期にかけて建設した別荘で、政財界、文化人のほか留学生も含めた国際的な交流の場でした。

愛知県名古屋市の中川運河

中川運河

名古屋港と都心を結ぶ運河で堀川と中川運河を船で通航できるよう松重閘門が置かれました。中川運河は名古屋の経済・産業の発展を支えました。

愛知県名古屋市の久屋大通公園

久屋大通公園

日本で初めて名古屋で民間ラジオ放送が開始されると、昭和29年(1954年)に当時日本一の高さを誇る集約電波鉄塔が建設されました。

愛知県名古屋市の白鳥庭園

白鳥庭園

名古屋城を築城するときに木曽で伐採した木材を保管した大規模な貯木場跡に造営された庭園で、平成3年(1991年)に開園しました。