神戸市

神戸市は瀬戸内海に面して背後には六甲山地がそびえる美しい自然と洗練された都市機能が調和した魅力的な都市です。古くから国際貿易港として栄え、異国情緒豊かな景観や文化が育まれてきました。狭い平野部を有効活用するため埋立事業によりポートアイランドや六甲アイランドが整備され、これらを見下ろす六甲山からの夜景は1000万ドルの夜景と称されています。
概要
- 面積
- 557.02km2
- 人口
- 1,518,220人(2021年11月1日)
- 市の木
- サザンカ
- 市の花
- アジサイ
- 市の歌
- 神戸市歌、しあわせ運べるように
- 地図
歴史
古くから畿内から九州や大陸を結ぶ海上交通の要衝にあたり、平安時代に平清盛が大改修して港町として整備して一時的に福原に遷都しました。応仁の乱で港町としての機能が失われますが、江戸時代の北前船の寄港で復興を遂げ、江戸時代末期に海外交易の拠点として開港してから国際港湾都市として発展しました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
六甲南麓の傾斜地を中心に旧石器時代や縄文時代の人の営みが残されています。弥生時代に農耕社会が展開して経済が発展したため、有力者の宝で祭器でもある銅鐸がたくさん見つかりました。
古墳時代、飛鳥時代
各地の豪族が古墳を造るようになりました。

処女塚古墳
3世紀後半の前方後円墳で、万葉集に詠まれた悲恋物語の主人公で、二人からの求婚されて心を痛めた末に自害した菟原処女の墓との伝説が残されています。

西求女塚古墳
3世紀後半の前方後円墳で、三角縁神獣鏡7面を含む銅鏡12面などが出土しました。一説では菟原処女に求婚した男性の墓とされています。

白水瓢塚古墳
4世紀初頭の前方後円墳で五色塚古墳の先行首長墓として位置づけられており、被葬者は女性と推定されています。

五色塚(千壺)古墳
4世紀後半の兵庫県で最大の前方後円墳で、本州と淡路島の距離が最も狭い場所で明石海峡を行きかう船を見下ろす高台に造営されています。
奈良時代、平安時代
平安時代末期に平清盛が大輪田泊を大改修して日宋貿易を拡大しました。貿易で力をつけた平清盛は、治承4年(1180年)に都を福原に移しますが、全国各地で反平家の挙兵が相次いだことから半年あまりで平安京へ還都されました。
鎌倉時代、南北朝時代
建久7年(1196年)に東大寺の僧・重源が大輪田泊などを修築し、大輪田泊は国内第一の港として兵庫津と呼ばれるようになりました。

一遍廟所
時宗の開祖である一遍は各地を遊行して踊念仏を始めましたが、正応2年(1289年)に摂津兵庫津の観音堂で没しました。

楠木正成墓碑
楠木正成は後醍醐天皇に付き従い鎌倉幕府との戦いで活躍しましたが、延元元年(1336年)の湊川の戦いで足利尊氏に敗れて壮絶な最期を遂げました。
室町時代、安土桃山時代
播磨国守護の赤松範資が摂津国守護も兼ねるようになり、この頃に日明貿易の拠点として賑わうようになりました。応仁の乱が起こると、応仁3年(1469年)に山名是豊が侵攻して兵庫津が焼失して港としての機能が失われました。三木城を拠点としていた赤松家庶流の別所氏が成長しますが、織田方の羽柴秀吉が攻略しました。摂津守護・荒木村重が織田信長に反旗を翻して織田方に追放されると、天正9年(1581年)に池田恒興が兵庫城を築いて城下町の整備を進めました。

安養院庭園
安土桃山時代に作庭された枯山水庭園で、太山寺の原生林を借景として取り入れているため、小さいながら雄大さを兼ね備えています。

有馬温泉
飛鳥時代に開湯したとされる日本三古湯のひとつで、豊臣秀吉が復興して千利休を招いた茶会を開き、天正19年(1591年)に御殿の建設を進めました。
江戸時代
六甲南麓では石材の切り出しや水車業が発展して菜種油・そうめん・酒造りが盛んになりました。神戸市域は主に尼崎藩領でしたが、18世紀半ばに西の明石藩領を除いて多くが天領となりました。
神戸開港と幕末の動乱
安政5年(1858年)の日米修好通商条約により箱館や横浜などとともに神戸の開港が決まり、元治元年(1864年)に江戸幕府が海軍操練所を設置しました。慶応3年(1864年)に神戸港が開港して外国人が居留するようになりますが、文化の違いから神戸事件が起きました。

太山寺成就院庭園
江戸時代後期の作庭とされる枯山水庭園で、枯池式と築山式の特徴を併せ持つ特徴があり紅葉の名所としても知られています。

明石藩舞子台場跡
文久3年(1863年)に明石海峡の防備を目的として勝海舟が指導して急遽造営された砲台跡で、西洋の要塞を参考にした稜堡式の形態をしています。

和田岬砲台
元治元年(1864年)に勝海舟が設計した砲台跡で、石製堡塔を中心にその周囲に星稜型の土塁を築いた西洋の城塞を参考とした砲台でした。

神戸事件碑
慶応4年(1865年)に備前藩兵の隊列を外国人が横切り藩兵が発砲する神戸事件が起き、これが明治政府で初めての外交問題となりました。
明治時代、大正時代、昭和時代
神戸港が開港してから多くの外国人は中央区北野町周辺に居留し、西洋食など西洋文化が持ち込まれました。明治7年(1874年)に大阪ー神戸間に官営鉄道が開業し、のちに貿易年商日本一となる鈴木商店が創業しました。大正7年(1918年)に米騒動が神戸に広がり鈴木商店が焼き討ちされる事件が起こり、昭和2年(1927年)の金融恐慌により鈴木商店が倒産しました。
度重なる災害と復興
昭和9年(1934年)の室戸台風や昭和13年(1938年)の阪神大水害のほか、昭和20年(1945年)の神戸大空襲により大きな被害を受け、平成7年(1995年)には阪神・淡路大震災で被害を受けました。

再度公園
明治32年(1899年)に神戸外国人墓地が造営された再度山は、昭和12年(1937年)に再度公園として整備されました。

兵庫大仏
明治24年(1891年)に落成した日本三大仏のひとつで、延暦24年(805年)に最澄が創建した能福寺の境内にあります。

神戸中華街
神戸開港とともに誕生した日本三大中華街のひとつです。神戸大空襲でバラックが並ぶ闇市と化しましたが、昭和50年代に中華街として復興しました。

メリケンパーク
昭和38年(1963年)に神戸ポートタワーが完成し、昭和62年(1987年)にメリケンパーク、神戸海洋博物館、須磨海浜水族館が開業しました。