歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

宿毛市

高知県宿毛市の松尾峠から宿毛市街

宿毛市は四国の西南端に位置し、温暖な気候に恵まれます。豊後水道に面した宿毛湾は複雑なリアス式海岸を形成し、魚のゆりかごや天然の養殖場と言われる魚種の宝庫として知られます。晩秋から冬にかけて太陽が水平線に沈む瞬間にダルマのような形に見えることで有名です。

概要

面積
286.20km2
人口
18,313人(2022年10月1日)
市の木
クスノキ
市の花
寒蘭
市の鳥
メジロ
市の魚
イシダイ
地図

歴史

四国南西端の宿毛は、古くから海上交通の要衝でした。長宗我部氏から江戸時代初期の山内氏の支配まで宿毛城が置かれて城下町として発展し、特産の樟脳や木材が運び出されたほか薩摩から砂糖や生活物資が運び込まれました。明治時代に真珠養殖が開始され、はまち養殖が盛んな地へと変化していきました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

楠山池ノ上遺跡で後期旧石器時代らしい遺物が確認されています。笹平遺跡や字須々木遺跡では縄文時代早期の石器が見つかり、字須々木遺跡からは姫島産黒曜石の破片が出土しています。縄文時代前期から続く橋上遺跡では籾の痕のついた弥生式土器が発見し、弥生時代後期の芳奈向山遣跡から貯蔵庫とみられる竪穴が発見されています。

高知県宿毛市の宿毛貝塚

宿毛貝塚

縄文時代中期から後期の貝塚で、東貝塚と西貝塚からなります。両方の貝塚からは宿毛式土器や石器のほか、獣骨や貝類のみならず人骨も発見されています。

古墳時代、飛鳥時代

高知県は古墳時代中期から古墳が造営されるようになりました。5世紀前半の平田曽我山古墳は、県下最古最大の古墳であり唯一の前方後円墳で銅鏡や鉄剣などが出土していますが、5世紀末から6世紀にかけての古墳は発見されていません。

奈良時代、平安時代

昌泰4年(901年)に菅原道真が太宰府に左遷されるとき、暴風雨で船が漂着して7日間滞在したため、小筑紫や七日島の名称が生まれたとされます。日振島を拠点に反乱を起こした藤原純友は、天慶3年(940年)に宿毛の町を焼きました。播多郡は関白藤原忠通の荘園となり宗我部氏が荘司を務めましたが、応保元年(1161年)に平清盛が取り上げて平重盛に与え、蓮池権頭家綱と平田太郎俊遠を配置しました。

高知県宿毛市の土佐遍路道(観自在寺道)

土佐遍路道(観自在寺道)

土佐最後の札所第39番延光寺から第40番札所観自在寺に向かう遍路道国の指定を受けています。宿毛市域では、小深浦から国境の松尾峠までの区間となります。

鎌倉時代、南北朝時代

承久元年(1219年)に3代将軍・源実朝が暗殺されて、九条道家の子・九条頼経が将軍に迎えられました。幡多郡は鎌倉幕府から九条道家に与えられ、九条道家の三男・一条実経に引き継がれました。

流刑の地

土佐国は流刑地として扱われ、多くの貴族や武士が流されました。後鳥羽上皇が鎌倉幕府の倒幕を図り執権北条義時がこれを抑えると、承久3年(1221年)に土御門上皇が幡多郡に流されました。後醍醐天皇が日野資朝らと討幕計画をたてた正中の変では、元弘2年(1332年)に後醍醐天皇の第一皇子・尊良親王が幡多郡に流されました。

室町時代、安土桃山時代

応仁元年(1467年)の応仁の乱で京が荒廃すると、前関白左大臣一条教房は幡多の本庄中村に来国したとされています。一条教房は豪族の加久見宗孝の娘を娶り基盤をかため、一条房家の第2子で中村生まれの一条房家を初代とする土佐一条氏が幡多郡を支配しました。天正2年(1574年)に一条兼定が豊後国に追放されると長宗我部元親が幡多郡に入り、翌年の渡川合戦で長宗我部元親が一条兼定に勝利したことで長宗我部氏が支配しました。

江戸時代

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に与した長宗我部盛親は土佐国を没収され、山内一豊が土佐国に入り山内一豊の姉・通の子である安東可氏が宿毛に配されました。可氏は山内氏を称することが許され、明治時代には伊賀氏を名乗りました。宿毛は宿毛陣屋を中心として城下町が形成し、海上交通の重要な拠点として樟脳や木材が積み出されて薩摩から砂糖や生活物資が運び込まれました。寛文3年(1663年)に藩政改革を進めた野仲兼山が失脚すると、遺児たちが宿毛に預けられて幽閉されました。

高知県宿毛市の貞亨元年銘法華経(宿毛の経塔)

貞亨元年銘法華経(宿毛の経塔)

貞亨元年(1684年)に建てられた法華経塔で、幡多郡大月町柏島の法連寺の住持が建立しました。南無妙法法華経の題目が大きく刻まれています。

明治時代、大正時代、昭和時代

戊辰戦争では土佐藩の本隊とは別に宿毛機勢隊を結成して奥羽地方で大きな功績を挙げました。明治4年(1871年)の廃藩置県で宿毛領は廃止されて高知県に属しました。大正3年(1914年)には真円真珠の養殖が始められ、真珠養殖に代わりはまち養殖が盛んになりました。昭和初期に宇須々木に海軍基地が整備されたため、空襲や潜水艦の銃撃を受けました。昭和29年(1954年)に宿毛市が誕生し、昭和62年(1987年)に土佐くろしお鉄道宿毛線が開通して交通が大幅に改善されました。

高知県宿毛市の林邸跡

林邸跡

明治22年(1889年)に林有造氏が建築した邸宅で、自由民権運動の本拠地としても重要な場所でした。2階からは来訪者を不審者かどうか確認することができます。