歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

佐世保市

長崎県佐世保市のハウステンボス

佐世保市は長崎県北部に位置する豊かな自然に恵まれた町です。江戸時代は農業と漁業の街として発展し、旧海軍の軍港として栄えて現在は米海軍基地があります。中山間部では水田農業が行われ、佐世保市の温州みかんは西海みかんとして流通しています。

概要

面積
426.06km2
人口
239,628人(2021年12月1日)
市の木
ハナミズキ
市の花
カノコユリ
地図

歴史

佐世保市は旧石器時代から洞穴を利用して人の営みがあり、発見されている縄文遺跡は全国で最も多いです。平安時代後半から松浦党と呼ばれる武士集団が現れ、大村氏を含めて争うようになりました。やがて平戸松浦氏が治めるようになり明治時代を迎えました。明治以降は軍港として栄え、現在も米軍基地が置かれています。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

佐世保市は旧石器時代に人が生活していた洞穴が日本で一番多い30カ所発見されています。佐世保市を流れる相浦川と佐々川沿いで人々が生活した遺跡が残されています。佐世保市は砂岩が多く、長い年月による川の浸食により岩穴地形を形成していきました。

長崎県佐世保市の泉福寺洞窟

泉福寺洞窟

旧石器時代から生活の痕跡が認められる洞窟で、世界最古の土器である豆粒文土器が出土しています。

長崎県佐世保市の福井洞窟

福井洞窟

旧石器時代から縄文時代の過渡期の文化層が求められた遺跡で、最下層から3万年以上前の石器が出土しました。

長崎県佐世保市の岩下洞穴

岩下洞穴

旧石器時代から古墳時代の遺物が出土しており、縄文時代早期の20体を超える埋葬人骨が確認されたほか縄文時代前期の石鏃や石槍の狩猟具が数多く出土しています。

長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡

下本山岩陰遺跡

縄文時代前期の狩猟具や漁労具が出土し、弥生時代の箱式石棺に2体の埋葬人骨が検出されました。

長崎県佐世保市の大野台支石墓群

大野台支石墓群

縄文時代晩期から弥生時代前期に造営された石墓群で大陸の埋葬方式が採用されました。大野台支石墓群は原山支石墓群とともに国内最大級の石墓群とされます。

長崎県佐世保市の宇久松原遺跡

宇久松原遺跡

弥生時代早期から中期と弥生時代後期の2時期からなり、支石墓9基、甕棺墓35基、石棺墓8基、土壙墓10基、石囲墓1基が出土しています。

古墳時代、飛鳥時代

特に大きな記録は見受けられませんでした。

奈良時代、平安時代

平安時代後期には長崎県北部や佐賀県唐津地方に松浦党と呼ばれる武士集団が現れ、地域ごとに土地を支配しました。松浦党の松浦清の子・志佐貞は、13世紀半ばに福井川の右岸の高さ50メートルの懸崖上に直谷城を築城して居城にしました。直谷城は、元暦2年/寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦いで入水自殺した安徳天皇が逃げ延びて仮の住まいとした伝承が残されています。

佐世保市の直谷城跡

直谷城跡

自然地形を最大限に活用して尾根や谷筋に出丸、櫓台、竪堀などを配置し、頂部の主郭跡には天守台や建物跡などが置かれました。

鎌倉時代、南北朝時代

文永元年(1264年)に松浦家は亀山八幡神社を守護神としました。

室町時代、安土桃山時代

松浦党の一族である宗家松浦氏(相神浦松浦氏)の松浦政の弟・松浦諫は、佐世保城を築城して佐世保氏を名乗りました。佐世保は平戸松浦氏、宗家松浦氏と大村氏が激しく争う地となり、明応7年(1498年)に大智庵城の攻防で宗家松浦氏の松浦政が敗死すると平戸松浦氏の支配下となりました。宗家松浦氏の松浦親は天文4年(1535年)に飯盛城を築城しましたが、永禄6年(1563年)に平戸松浦氏の松浦隆信が武雄領主後藤貴明とともに飯盛城を攻めて宗家松浦氏は平戸松浦氏に降りました。

江戸時代

江戸時代になり全国に街道が整備されると、九州には長崎を終点とする長崎街道が整備されました。長崎街道は平戸まで平戸往還が枝分かれして、佐世保には平戸藩主が参勤交代で使用する江迎本陣が置かれました。平戸松浦藩は日用雑器の陶器を生産するために(1596~1615年)頃に葭之本窯を造営しました。

長崎県佐世保市の江迎本陣跡

江迎本陣跡

平戸藩の参勤交代で使用した本陣で、現在の建物は平戸藩主松浦熈が文政13年(1830年)から改築と築庭を始め、天保3年(1832年)に完成したものです。

長崎県佐世保市の葭之本窯跡

葭之本窯跡

慶長年間に三川内焼陶祖の一人である巨関の子、今村三之丞が開いたとされる三川内最古級の登り窯です。三川内で最も古い岸岳系統の日曜雑器の唐津焼が製作されました。

長崎県佐世保市の楠本端山旧宅

楠本端山旧宅

楠本端山の父・楠本養斉が天保3年(1832年)に建築した武家屋敷で、儒教の祠堂も設けられた珍しい建物です。

長崎県佐世保市の楠本家墓地土墳群

楠本家墓地土墳群

楠本端山は西海の大儒と呼ばれた儒学者で、坂本龍馬や西郷隆盛など幕末の志士に大きな影響を与えました。楠本端山の土壙墓は県内唯一の儒教形式のものです。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治22年(1889年)に大小の島々が複雑に浮かぶ島と小高い山に囲まれる地形から旧日本海軍の鎮守府が設置されました。江戸時代には4000人にも満たない人口でしたが、佐世保は軍港として急速に発展して明治25年()に村から一挙に市になりました。

引揚基地から米軍基地へ

太平洋戦争では昭和20年(1945年)に佐世保大空襲で1千人以上の多くの人が亡くなり、太平洋戦争が終結すると佐世保港には引揚船が帰着する港となり、朝鮮戦争の勃発により昭和27年(1952年)には米軍基地に指定されました。

長崎県佐世保市の針尾無線塔

針尾無線塔

大正11年(1922年)には中国大陸、東南アジア、南太平洋に進出している部隊や艦船などと無線通信を行うために4年の歳月をかけて建造されました。

長崎県佐世保市のハウステンボス

ハウステンボス

平成4年(1992年)に開園したオランダの町並みを再現したテーマパークです。単独のテーマパークとしては日本最大の敷地面積を誇ります。

平戸領地方八竒勝(平戸八景)

平戸八景は旧平戸藩内にあたる長崎県佐世保市内に散在する8箇所の風景地の総称です。このうち7つが平成27~28年(2015~16年)に国の名勝に指定されました。

長崎県佐世保市の髙巌

髙巌

佐世保市江迎町乱橋

長崎県佐世保市の潜龍水

潜龍水

佐世保市吉井町草ノ尾

長崎県佐世保市の石橋

石橋

佐世保市吉井町直谷

長崎県佐世保市の大悲観

大悲観

佐世保市小佐々町小坂

長崎県佐世保市の巌屋宮

巌屋宮

佐世保市高梨町

長崎県佐世保市の福石山

福石山

佐世保市福石町

長崎県佐世保市の潮之目

潮之目

佐世保市有福町