歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

西海市

長崎県西海市

西海市は九州本土最西部に位置します。平成17年(2005年)に大瀬戸町・西彼町・西海町・大島町・崎戸町が合併して西海市となりました。市域は西海国立公園、大村湾県立公園、西彼杵半島県立公園の3つの自然公園に指定されています。日本三大急潮のひとつ伊ノ浦瀬戸(針尾瀬戸)に隔絶された西彼杵半島北部は、西海橋が完成するまで陸の孤島と呼ばれていました。

概要

面積
241.59km2
人口
25,446人(2022年2月1日)
市の木
ヤマモモ
市の花
カノユユリ
市の花木
ハマボウ
市の鳥
ウグイス
市の魚
アラカブ
地図

歴史

陸の孤島と言われた西海市は、昭和30年に西海橋が架橋されるまで文化の流入があまりありませんでした。縄文時代から人の営みが残され、古墳には埴輪がありませんでした。中世には小佐々氏が治め、やがて大村氏の支配を受けました。南蛮船の来航により西洋文化が入り、江戸時代には隠れキリシタンが生まれたほか捕鯨と炭鉱の町となりました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

西海市は縄文時代の石器や石斧などが発見されています。弥生時代になると、雪浦川の支流である河通川と小田川に挟まれた丘陵上に小田貝塚が造営されています。

古墳時代、飛鳥時代

早岐瀬戸の周辺には幾つかの古墳が造営されましたが、埴輪が発見されていません。亀岳中学校の建設で消滅した江崎古墳からは須恵器などの遺物が発見されましたが、ここでも埴輪は採集されていません。

奈良時代、平安時代

藤原純友の乱を起こした藤原純友の孫にあたる藤原直澄は、その罪を許されて正暦5年(994年)に西海市の白崎郷の海辺を経由して大村の地に入りました。藤原直澄は大村を姓として明治時代まで長らく大村の地を治めました。平安時代末期から室町時代にかけて、滑石で石鍋を製造するホゲット石鍋製作遺跡が置かれました。

長崎県西海市のホゲット石鍋製作遺跡

ホゲット石鍋製作遺跡

採掘される滑石は人の爪で傷つくほど柔らかく加工しやすい鉱物で保温性に優れました。全国随一の生産地として遺跡範囲内には11の工房跡が発見されています。

鎌倉時代、南北朝時代

特に大きな記録は見受けられませんでした。

室町時代、安土桃山時代

室町幕府4代将軍足利義持の倭寇取締の命により、佐々木満信が次男の佐々木時信を伴い下向して小佐々氏を名乗りました。大村氏が勢力を広げると小佐々氏は大村氏の家臣となり大村氏を助けました。

南蛮船の来航と横瀬浦

永禄5年(1562年)に大村純忠が横瀬浦をポルトガルとの貿易港として開港しました。大村純忠は日本最初のキリシタン大名となり領民3万人のほとんどがキリシタンになりましたが、不満を持つ大村純忠の義弟の反乱で横瀬浦は焼失して、海外交易の港町としての性質は1年で終わりました。

長崎県西海市の多以良の小佐々氏墓所

多以良の小佐々氏墓所

小佐々定信は勢力を拡大して応仁元年(1467年)に西彼杵半島西岸に城ノ辻山に城を構えて倭寇である松浦水軍の南下を阻止するため小佐々水軍を編成しました。

長崎県西海市の南蛮船来航の地

南蛮船来航の地

南蛮船が到来して南蛮貿易の港となりました。横瀬浦は教会堂が建ち港町として賑わい、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが上陸した土地ともなりました。

長崎県西海市の中浦ジュリアン像

中浦ジュリアン像

中浦城主小佐々兵部純吉の子・小佐々甚吾は有馬のセミナリヨに1期生として入学し、中浦ジュリアンとして天正遣欧少年使節の一員としてローマ法王に謁見しました。

長崎県西海市の中浦ジュリアン出生の地

中浦ジュリアン出生の地

中浦ジュリアンは司祭に叙階されましたが、江戸幕府の禁教令でも棄教しないため、寛永10年(1633年)に穴吊るしで処刑されました。

江戸時代

大村藩は海を活用した産業が藩の財政を支えており、船を家として生活する家船で捕鯨を行い藩の財政を支えました。

長崎県西海市の西彼町のキリシタン墓碑

西彼町のキリシタン墓碑

初代大村藩主大村善前は藩の存続のためにキリスト教を棄教して過酷なキリシタン弾圧を行い、キリシタンたちは痩せた土地で息を潜めて信仰を守り続けました。

長崎県西海市の大串金山

大串金山

寛永4年(1627年)から大串金山の採掘が始まり、万治元年(1658年)の最盛期には年間17キロもの金が採掘されました。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治時代になると佐世保に鎮守府が置かれたことで石原岳堡塁が設置されました。西海市は捕鯨の街から炭鉱の町と変わり、天明元年(1781年)に串島で石炭採掘を始めた松島炭鉱は、大正3年(1914年)から松島第4坑の開削に着手しました。

長崎県西海市の松島炭鉱第4坑跡

松島炭鉱第4坑跡

昭和40年代になると石炭から石油へのエネルギー革命により炭鉱閉山が相次ぎ、5つある松島炭鉱の竪坑のうち第4坑のみが唯一現存しています。

長崎県西海市の間瀬教会

間瀬教会

大島の炭鉱で採掘が始まり炭鉱で働くカトリック信徒のために太田尾教会の巡回教会として設置されました。