歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

別府市

大分県別府市の湯けむり展望台

別府市は大分県の東海岸のほぼ中央に位置します。別府湾へと広げる扇状地特有の地形により、緑豊かな高原と波静かな別府湾に囲まれています。日本有数の温泉地で源泉数や湧出量は日本一を誇り、国際的な温泉観光都市となりました。

概要

面積
125.34km2
人口
114,982人(2021年11月1日)
市の木
キンモクセイ、クスノキ
市の花
ツツジ
地図

歴史

古くから作物の育たない忌み嫌われる地域で、鎌倉時代に一遍上人が諸国念仏行脚の途中で鉄輪を訪れ、荒地獄を鎮めるために大蔵経を一字一石に書写して地獄に埋めました。明治時代に奇異な自然現象は地獄めぐりとして観光資源となりました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

後期旧石器時代に人びとが生活を始め、羽室遺跡からナイフ形石器が見つかりました。縄文時代の人びとは、北鉄遺跡や野田遺跡などで生活して押型文土器を使用しました。弥生時代になると扇状地を中心に集落が形成し、円通寺遺跡では漁撈具なども見つかりました。

古墳時代、飛鳥時代

別府市域では前方後円墳は作られず、6世紀後半に大きな墳丘と石室を持つ古墳群が出現しました。このあと7世紀初頭には、突如として巨石墳が造営されるようになりました。

大分県別府市の鬼ノ岩屋

鬼ノ岩屋

直径30メートルほどの円墳で、1号墳と2号墳からなる古墳群です。6世紀後半に造営されたもので、大型の横穴石室を備えています。

大分県別府市の実相寺古墳群

実相寺古墳群

6世紀後半から7世紀初頭にかけて造営された巨石墳群です。太郎塚、次郎塚、天神畑1号、2号墳、鷹塚古墳からなります。

奈良時代、平安時代

律令体制で豊後国速見郡が成立し、古代駅路が通じて朝見郷には長湯駅が置かれました。豊後国は前関白の藤原忠実の知行国となりました。源為朝は若い頃に豊後国に住み、自ら鎮西惣追捕使と号して鎮西八郎為朝と呼ばれました。

鎌倉時代、南北朝時代

建久7年(1196年)に大友能直が朝見郷から豊後国に入部しました。文永10年(1273年)に石垣荘の地頭代・鬼鶴丸迎西らと徴税にきた官吏らが衝突する打擲事件が起きました。建治2年(1276年)に一遍上人が諸国念仏行脚の途中で鉄輪を訪れ、荒地獄を鎮めるために大蔵経を一字一石に書写して地獄に埋め、大友頼泰が元寇の負傷兵を癒すため療養所をつくりました。

大分県別府市の竈門氏墓地古塔群

竈門氏墓地古塔群

竈門氏は宇佐八幡宮神宮寺弥勒寺の荘園・竈門荘の地頭で、速見郡の有力御家人でした。大友氏の家老として活躍しましたが、忽然と消息を絶ちました。

室町時代、安土桃山時代

豊臣秀吉の九州征伐で、市域は細川忠興の領地となりました。慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いで、旧領回復のため西軍として大友義統が挙兵しますが、宗像鎮次や吉弘統幸らが討ち取られました。市域は小川光氏や久留島氏らが分割統治しました。

江戸時代

小川光氏は無嗣断絶となり、元和2年(1616年)から石川忠総が入り、寛永11年(1634年)には石川忠総に代わり松平忠昭が入りました。万治元年(1658年)に松平忠昭は府内藩主となり、市域は府内藩に統合されました。宝暦11年(1761年)に銭瓶峠の道路工事で、府内藩の役人や農民と赤松村農民の争いとなる銭瓶石騒動が起こりました。

明治時代、大正時代、昭和時代

幕末から明治にかけて活躍した井上馨は、山口城下で襲われて別府で治療を受けました。明治4年(1871年)に別府港が完成し、明治44年(1911年)に別府駅が完成しました。明治43年(1910年)に海地獄を管理していた宇都宮則綱が有料で公開するようになると、血の池や坊主などの地獄も有料となり、別府地獄めぐりが観光施設となりました。大正11年(1922年)に的ヶ濱の住人が別府警察署に住居を焼かれる事件が起こりました。

大分県別府市の竹瓦温泉

竹瓦温泉

明治12年(1879年)に建築された温泉です。竹屋根葺きから瓦葺き屋根に建替えられて竹瓦温泉と名付けられました。

大分県別府市の別府の湯けむり・温泉地景観

別府の湯けむり・温泉地景観

江戸時代に小さな湯治場でしたが、多様な源泉が存在する名湯を有するため、別府港の開港や温泉宿の整備で一大温泉地に成長しました。

別府地獄めぐり

鉄輪・亀川の地獄地帯は、天平5年(733年)に編纂された豊後風土記に噴気・熱泥・熱湯などが噴出していることが記されています。熱湯の泥土が湧出する場所が数多くあり、稲が育たず人びとが生活できない忌み嫌われた土地でした。明治時代になり、奇異なる自然現象は地獄めぐりとして観光資源となりました。

大分県別府市の海地獄

海地獄

今から1200年前に鶴見岳の爆発で誕生しました。豊後風土記に記されている玖倍理の湯で、別府地獄の中でも最大の広さを誇ります。

大分県別府市の血の池地獄

血の池地獄

日本で一番古い天然の地獄で、豊後風土記に赤湯泉と記されています。地下の高圧、高温化で生じた酸化鉄や酸化マグネシウムなどを含んだ熱泥が噴出しています。

大分県別府市の龍巻地獄

龍巻地獄

短い周期で熱水が噴出する間欠泉です。豪快に噴き出した熱水は30メートルほど噴き出す威力があります。

大分県別府市の白池地獄

白池地獄

昭和6年(1931年)に創業した地獄で、落ち着いた雰囲気の和風庭園のなかに青みを帯びた白色をしている温泉が溜まります。

大分県別府市の鬼石坊主地獄

鬼石坊主地獄

豊後風土記にも記され熱湯の泥土で、灰色の熱泥が沸騰して湧き上がり、この様子が坊主の頭に似ていることから名付けられました。

大分県別府市の鬼山地獄

鬼山地獄

大正12年(1923年)に温泉熱を利用したワニの飼育が日本で初めて始められました。今では80頭のワニが飼育され、ワニ地獄とも呼ばれています。

大分県別府市のかまど地獄

かまど地獄

100度近い青く透き通る温泉が噴気とともに湧出しています。来より氏神の竈門八幡宮の大祭に地獄の噴気で炊いた米が供えられたため名付けられました。