歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

佐伯市

大分県佐伯市の豊後二見ヶ浦

佐伯市は大分県の東南部に位置し、九州最大の面積を持つ都市です。九州山地から広がる山間部、一級河川番匠川下流に広がる平野部、リアス式海岸の続く海岸部に大きく分けられます。山岳地帯は祖母傾国定公園の一角をなし、沿岸域は日豊海岸国定公園に指定されるリアス式海岸が連なります。

概要

面積
903.11km2
人口
65,302人(2022年2月1日)
市の木
カシ(ウバメガシ、アラカシ)
市の花
ヤマザクラ
市の鳥
メジロ
市の魚
アジ(海)、アユ(川)
地図

歴史

佐伯市は、平安時代に宇佐八幡宮の大宮司大神一族が佐伯氏を称して治め、独自の勢力として発展しました。やがて豊後国守護の大友氏に従属して重臣となり、大友氏の改易により佐伯から離れました。江戸時代には市域を佐伯藩と岡藩が分けて統治し、鉱山開発や海運事業が発達して繁栄しました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

縄文時代早期の森の木遺跡から姫島産の黒曜石や矢尻、土器の破片などのほか集石遺構が見つかりました。人びとは竪穴住居に住み、肉や魚などを蒸し焼きにして食べ、保存のため燻製にしていました。

大分県佐伯市の藤河内渓谷

藤河内渓谷

祖母傾国定公園に属して原生林が生い茂る渓谷で、巨大な花崗岩の一枚岩を桑原川が長い年月をかけて刻んでいます。

大分県佐伯市の白潟遺跡

白潟遺跡

弥生時代の2つの貝塚と竪穴式住居のほか、奈良時代や平安時代の掘立柱建物跡、土師器、蔵骨器などが発掘されました。

古墳時代、飛鳥時代

海や川を見下ろす丘陵に宝剣山古墳や樫野古墳などが築かれました。これらはこの地域を治める地方首長を埋葬した墓と考えられています。

奈良時代、平安時代

佐伯は、海部郡の穂門郷とされています。汐月遺跡からは吉と書かれた墨書土器が出土し、佐伯院という古代の役所が置かれていたとされます。平安時代後期には宇佐八幡宮の大宮司大神一族が佐伯院に土着して佐伯姓を名乗るようになりました。

鎌倉時代、南北朝時代

鎌倉幕府が成立すると、豊後国守護の大友氏のもと佐伯荘の地頭として佐伯氏が支配していました。佐伯氏は独自の勢力として豊後南部で勢力を振いました。元弘3年(1333年)に少弐貞経や大友貞宗らが鎮西探題を襲撃したときに佐伯氏は大友氏に属して行動し、これ以来佐伯氏は大友氏に従い行動するようになります。

大分県佐伯市の瀧三柱神社

瀧三柱神社

正応元年(1288年)に暁嵐の滝の麓に創建した神社です。佐伯藩初代藩主・毛利高政とも縁が深いようです。

大分県佐伯市の上小倉磨崖石塔

上小倉磨崖石塔

鎌倉時代末期から南北朝時代には凝灰岩の崖面に磨崖石塔が造営されました。

室町時代、安土桃山時代

佐伯氏は大友氏の重臣として活躍しますが、天正6年(1578年)の耳川の合戦で大友氏が島津氏に大敗して佐伯惟教らが討ち取られました。跡を継いだ佐伯惟定は、天正14年(1586年)に豊後に侵攻してきた島津軍を堅田合戦で退け、島津方の柴田紹安の居城である星河城や土持親信が守る朝日嶽城を奪還しましたが、文禄2年(1593年)に大友氏が改易されて浪人となり、 伊予国の藤堂高虎に仕えました。

大分県佐伯市の栂牟礼山

栂牟礼山

大永元年(1521年)に佐伯惟治が築城しました。大永7年(1527年)に臼杵長景が攻めますが、落城しないため、臼杵長景は偽りの和議で佐伯惟治を討ちました。

江戸時代

佐伯市域は佐伯藩と岡藩(宇目)がありました。現在の津久見市南部から宇目を除く佐伯市全域で構成される佐伯藩は、慶長6年(1601年)に関ヶ原の戦いで西軍に与した毛利高政が国替えで入り、初代藩主となりました。8代藩主毛利高標は藩校四教堂を設立して中国や西洋から書籍を収集して佐伯文庫を置きました。岡藩に属する宇目郷は交通の要所として重視され、木浦鉱山の開発などが行われました。

大分県佐伯市の佐伯城

佐伯城

毛利高政は番匠川河口に佐伯城と城下町を築き、豊後水道に面する浦方と平地の少ない山間部の農村を藩政の基盤としました。

大分県佐伯市の重岡キリシタン墓

重岡キリシタン墓

「元和5年(1619年)るいさ」と刻まれており、洗礼名をルイザとした岡藩士渡辺輿吉郎の娘の墓と言われます。キリシタン弾圧が厳しくなり地中に埋められました。

明治時代、大正時代、昭和時代

昭和9年(1934年)に佐伯海軍航空隊が開隊して昭和15年(1940年)には佐伯防備隊ができ、昭和16年(1941年)に真珠湾攻撃に向けて佐伯湾から連合艦隊機動部隊の一部が発進しました。戦局の悪化した昭和20年(1945年)には米軍の空襲を受けて大きな被害を受けましたが、戦後に旧海軍跡地などの臨海部に工場や造船所が進出して県下で最も早く工業都市として発展しました。

大分県佐伯市の黒沢東光庵

黒沢東光庵

明治10年(1877年)に勃発した西南戦争で官軍が本営を置いたとされます。宮崎県境の山間部が広範囲に戦場となり、薩軍の一部が佐伯市街にも侵入しました。

大分県佐伯市の丹賀砲台園地

丹賀砲台園地

昭和6年(1931年)に豊後水道一帯の守備要塞として砲台が築かれました。巡洋艦・伊吹に搭載されていた30センチカノン砲2門が設置されていました。