歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

国東市

大分県国東市の国見温泉あかねの郷

国東市は、大分県北部の国東半島東部に位置します。両子山を頂点とする中央山岳部から放射状に延びる谷筋には田園や里山が広がり、水稲やクヌギの原木によるシイタケ等が栽培されています。大分空港があることから、精密機械や電子部品の製造も多く行われています。

概要

面積
318.10km2
人口
25,524人(2022年2月1日)
市の木
くすの木
市の花
菜の花
市の鳥
キジ
地図

歴史

瀬戸内海に面した国東市は、古くから海上交通の要衝として文化の交流が活発でした。畿内から派遣された僧侶や役人などが訪れ、仏教と神道に山岳信仰が融合した独特な六郷満山文化が平安時代から鎌倉時代にかけて栄えました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

旧石器時代から人の営みがあり、塩屋伊豫野原遺跡からナイフ形石器が出土しています。縄文時代には成仏岩陰遺跡などで岩陰などで生活しながら狩猟採集生活を送り、羽田遺跡は姫島産の黒曜石を運搬する交易の中継地となりました。弥生時代には安国寺集落遺跡などで稲作が行われました。

大分県国東市の文殊耶馬

文殊耶馬

六郷満山寺院の一つである文殊仙寺を中心とした名勝です。奇岩・岩峰群から成る優れた風致景観を形成しています。

大分県国東市の安国寺集落遺跡

安国寺集落遺跡

田深川下流域南岸の低湿地に所在する弥生時代から古墳時代初頭の集落遺跡です。住居や高床倉庫跡のほか木製農工具などの木製品が大量に出土しました。

古墳時代、飛鳥時代

墳時代の早い時期に前方後円墳が造られ、古墳時代後期になると面に鳥や船などの線刻が描かれるようになりました。海辺で生活した人びとは箱式石棺墓に鉄製の剣・蚕などの副葬品を埋葬しました。

大分県国東市の狐塚古墳

狐塚古墳

伊予灘に面した海岸段丘上に位置する大型円墳です。4世紀後半から5世紀前半頃に築造された国東半島東岸部の首長墓と考えられています。

大分県国東市の鬼塚古墳

鬼塚古墳

11基ある西山古墳群のひとつで、竹田津港を見下ろす丘に造営された円墳です。6世紀頃に造営されたとされ、横穴式石室には装飾が施されています。

大分県国東市の塚山古墳

塚山古墳

6世紀後半に造営された円墳で、全長5メートルの横穴式石室があります。天井の高さが4メートルを超える特徴があります。

奈良時代、平安時代

大化2年(646年)の大化の改新で国前国が廃されて国前郡が置かれ、武蔵郷などが宇佐八幡宮の所領となりました。平安時代から鎌倉時代にかけて仏教と神道に山岳信仰が融合した独特な六郷満山文化が開花しました。

大分県国東市の峨眉山文殊仙寺

峨眉山文殊仙寺

大化4年(648年)に修験道開祖の役小角が創建したとされる日本三文殊のひとつです。三人寄れば文殊の知恵の諺の発祥の地とされています。

大分県国東市の石立山岩戸寺

石立山岩戸寺

養老2年(718年)に開基した六郷満山のひとつです。日本最古の国東塔や銘があるものとして最古の石造仁王像などが残されています。

大分県国東市の足曳山両子寺

足曳山両子寺

養老2年(718年)に宇佐八幡の化身といわれる仁聞菩薩により開かれたとされます。広大な境内は全国森林浴の森百選にも選ばれています。

大分県国東市の千燈寺跡

千燈寺跡

養老2年(718年)に仁聞菩薩が創建して、六郷満山の中核をなす寺院として栄えました。奥之院には仁聞菩薩の墓と伝わる国東塔などが残ります。

大分県国東市の竹田津元宮遺跡附鬼籠列石

竹田津元宮遺跡附鬼籠列石

霊質を有するものと信じられた巨石群で、平安時代の須恵器片の出土などがあることから祭祀跡とみられています。

鎌倉時代、南北朝時代

建久6年(1195年)に大友能直が豊後守護職として下向しました。建保元年(1213年)に田原泰広が田原別符に入りました。文和元年(1352年)に田原貞広が室町幕府より国東郷を与えられました。

大分県国東市の地下式土壙

地下式土壙

中世に築造されたと推定される土壙墓です。敷地内に2基あり、1号は径60センチ、深さ2メートルあり、どちらも玄室は奥行3メートルあります。

大分県国東市の浜崎祖形五輪塔群

浜崎祖形五輪塔群

不動院跡に造営された五輪塔群で、高さ2メートルの立石を中心に7基の五輪塔があります。鎌倉時代に建造されたと推定されます。

大分県国東市の千燈石仏

千燈石仏

鎌倉時代末期から南北朝時代に建造されたと考えられる石仏です。高さ70センチ、幅160センチの板石に刻まれています。

大分県国東市の泉福寺境内

泉福寺境内

永和元年(1375年)に田原氏能が母無伝仁公尼(後光厳天皇第三皇女)の発願に応えて曹洞宗の高僧無著妙融禅師を招待して開山しました。

室町時代、安土桃山時代

慶長5年(1600年)に黒田官兵衛が安岐城、富来城を攻め落としました。

大分県国東市のペトロ・カスイ岐部記念公園

ペトロ・カスイ岐部記念公園

ペトロ・カスイ岐部は熱心なキリスト教徒で、日本人巡礼者として聖地エルサレムに入りローマに達し、慶長16年(1639年)に江戸で捕らえられ殉教しました。

江戸時代

寛永13年(1636年)に藩主・小笠原忠知は、藩内の浦辺に日向の松苗の植栽を奨励しました。寛文3年(1663年)には日出藩から伝来した七島藺の生産が始まり、元禄4年(1691年)から煙草作りが広がりました。享保18年(1733年)や天明7年(1787年)に大飢饉が発生しました。文化7年(1810年)に灌漑のため浜崎大谷池や多くの溜池が築造されますが、百姓の暮らしは楽にならず、文政元年(1818年)に百姓一揆が起きました。

大分県国東市の三浦梅園旧宅

三浦梅園旧宅

三浦梅園は帆足万里と広瀬淡窓と並んで豊後の三賢人と称される哲学者です。旧宅には三浦梅園遺稿や天球儀、肖像画などが常設展示されています。

明治時代、大正時代、昭和時代

昭和9年(1934年)の室戸台風で大きな被害を受け、大凶作となりました。昭和20年(1945年)に東高等女学校が空襲被害を受けました。昭和43年(1968年)に周防灘フェリーが就航し、昭和46年(1971年)に新大分空港が誕生しました。平成18年(2006年)に国東市が誕生しました。