歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

いちき串木野市

いちき串木野市の冠嶽園

いちき串木野市は鹿児島県西部に位置する温暖で風光明媚な町です。串木野鉱山を中心とした鉱業と日本三大砂丘の吹上浜の北部で東シナ海に面した地勢から漁業が盛んで、さつまあげ発祥の地であり、遠洋まぐろはえ縄漁業船籍数が日本一のまぐろの町となりました。

概要

面積
112.30km2
人口
26,985人(2021年11月1日)
市の木
マツ
市の花
サクラ
市の歌
故郷 〜輝く未来へ〜
地図

歴史

いちき串木野市は、秦国から不老不死の薬を求めて来た徐福の伝説が残ります。中世には串木野氏や市来氏が支配しますが島津氏に制圧され、島津氏の朝鮮出兵で連れて来た陶工が薩摩焼を興しています。港町として繁栄した串木野は薩摩藩のイギリス留学の出発地ともなりました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

いちき串木野市は、紀元前200年頃に秦の始皇帝の命を受けた徐福が不老不死の薬を求めて訪れた歴史があります。徐福は稲など五穀の種子と金銀、農耕機具、技術(五穀百工)を伝えたと言われます。霊峰冠岳は徐福が封禅の儀式で自らの冠を解いて頂上に捧げたことで名付けられ、徐福の本名である除市が来た町から市来と名付けられたと言われます。縄文時代後期には漁労や狩猟をしていた人が生活を営み、大正10年(1921年)に八房川左岸の河岸段丘で発見された市来貝塚からは多数の土器、石器、骨角器が出土しました。

いちき串木野市の冠嶽園

冠嶽園

明治2年(1869年)の廃仏毀釈で廃寺と化した頂峯院跡地には、徐福を顕彰するため中国蘇州の庭園を模した冠嶽園が設けられました。

いちき串木野市の市来貝塚

市来貝塚

縄文時代後期の貝塚で土器、石器、骨角器が出土したほか、埋葬遺構からは3体の人骨が発見され、類例が少ない縄文人骨として貴重な資料となりました。

古墳時代、飛鳥時代

用明天皇の頃、蘇我馬子の勅願により紀州熊野権現を冠岳に勧請して、その別当寺として興隆寺が建立されました。

奈良時代、平安時代

奈良時代後期に大蔵政房は、市来郡司となり鍋ヶ城を拠点としました。

鎌倉時代、南北朝時代

薩摩郡地頭平忠直の子である串木野忠道は串木野城を築城して串木野氏を興しました。串木野忠秋は興国3年(1342年)に島津貞久に破れて島津氏が領することになります。市来地区は寛元2年(1244年)に大蔵氏の道阿が惟家政家に市来院の院司職を譲り、市来鶴丸城を築城して市来姓を名乗りました。建武4年(1337年)には市来時家が南朝方となり、市来鶴丸城に立て籠もり島津貞久傘下の川上頼久と戦いました。

いちき串木野市の串木野城

串木野城

串木野忠道が築城した城で、島津氏支配下では文明6年(1474年)に川上忠塞が入り川上栄久、川上忠克と続き、元亀元年(1570年)に島津家久が入りました。

いちき串木野市の来迎寺跡墓塔群

来迎寺跡墓塔群

市来氏の菩提寺と言われる来迎寺跡地には、市来氏の一族と来迎寺の僧たちの墓と考えられている墓塔群が残され、文永12年(1275年)の銘のものがあります。

いちき串木野市の来迎寺跡墓塔群

丹後局の墓

来迎寺跡墓塔群には丹後局と伝えられる墓が残されています。丹後局は比企能員の娘で惟宗廣言に嫁いで島津家初代忠久を生みました。

室町時代、安土桃山時代

室町時代にも市来氏と島津氏は争いを続け、寛正3年(1462年)に市来久家・忠家親子は島津立久により滅ぼされ、市来の地は島津氏の直轄地となりました。島津義弘は慶長3年(1598年)に文禄・慶長の役で朝鮮の陶工70人余りを日本に連れてきました。串木野にも朝鮮の陶工43人が照島で薩摩焼を始めました。

江戸時代

江戸時代は薩摩街道出水筋の宿場として発展して、市来湊に川口番所を設置して密貿易を取り締まりました。出水筋の自然災害による被害を防ぐため嘉永5年(1852年)に出水筋に中原の治水溝を建造しています。イギリス商人トーマス・グラバーと懇意となる五代友厚は、薩摩藩に海外留学の重要性を訴えました。これにより鎖国の日本において慶応元年(1865年)に薩摩藩は19人をイギリスに留学しました。

串木野金山

芹ヶ野金山、荒川鉱山、羽島鉱山、芹場鉱山などの鉱山群を指す串木野金山は、万治元年(1658年)に川内市の鍋商人である新原喜左衛門が串木野1号鉱脈を発見したことに始まります。薩摩藩の貴重な財源となり搬出路として旧出水筋に肥後の岩永三五郎の技術を習得した石工が椿平橋などを架橋しました。串木野金山は日本一の産金量を誇る時期もありましたが、平成8年(1996年)に閉山しました。

明治時代、大正時代、昭和時代

平成17年(2005年)には市町村合併により市来町と串木野市が合併して、いちき串木野市となりました。