マチュ・ピチュ
マチュピチュは、インカの風水的なもので場所が選定され、四方を山で囲まれた静かな山の中にあります。そのため、スペインに征服されても手つかずで残されました。
マチュピチュは、アメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムによって発見されました。アグアス・カリエンテスからマチュピチュへ向かう蛇行した道をハイラムビンガムロードと呼びますが、実際は反対の険しい部分からマチュピチュを発見したそうです。
ハイラムビンガムロードはグッバイボーイが現れていましたが、ペルー政府がグッバイボーイ禁止令を出して現在は出没しません。お陰様でガイドさんから「グッバイボーイやりませんか?チップ出しますよ(笑)」なんて冗談を言われました。
私たちは1日目にマチュピチュの敷地内と太陽の門を観光し2日目にワイナピチュ(後方の山)に登りました。
後ろにはワイナピチュが聳えます。
急な山肌を使った段々畑です。
マチュピチュは山奥に多くの方が生活していたため、食べ物や供え物を収穫するために急峻な山肌には段々畑(アンデネス)が作られていました。整然と並ぶ段々畑は高い技術力で造られています。
マチュピチュは宗教儀式を行うために造られたと云われます。そのため生贄台や太陽の神殿が作られ、神に祈りを捧げていました。
一枚岩を台状にした生贄の台です。
石が積み上げられて神殿が造られています。
王様が眠る陵墓がありました。やはりマチュピチュは神に祈りを捧げる神聖なところとして扱われていたことが伺えます。
マチュピチュで使われている石は、マチュピチュ内の石切場から採取されていました。石を切る面に穴が開けられ、石を火で熱して水を掛けることで石を弱くして穴に沿って石を割る手法を取っていました。
王様の墓として使われていました。
熱した石を水で急速冷却して砕いたようです。
宗教儀式には、季節や太陽の角度なども関係があり、日時計(インティワタナ)がありました。また、水汲み場も残されています。
儀式に必要な時間を測りました。
水が流れ込む井戸のようなものです。
宗教儀式で最も大事な場所が主神殿になります。その主神殿を中心に神殿が建造されていますが、主神殿に最も近いところにコンドルの神殿と呼ばれる場所があります。
窪みには黄金の像がありました。
三角形の一枚岩です。
地面に開いていた穴はインカのトイレ跡のようです。穴が一つしかないので少し少ない気がしますが人々が生活していた名残ですね。屋外には石臼の跡があり収穫したジャガイモなどの野菜を潰したりしていたと思います。
溝が掘ってあります。
窪みに水が溜まっています。
3つの窓の神殿は天上、地上、地下を表しているそうです。また、太陽の石と呼ばれる大きな石はエネルギーを発すると言われ、おじさんが石に抱き着いていたので私たちもやってみました。
天上、地上、地下を示す窓です。
壁にへばりついてみました。
太陽の門(インティ・プンク)には木製の扉がつけられていましたが、長い時間により木製の部分は朽ち果てて石組みの門だけが残されています。
クスコからマチュピチュまで古代のインカ道が続いていて、そのインカ道には木製の橋がありました。これを「インカ橋」と呼びます。現在でも通行できるようですが断崖絶壁にあるので安全とはいえませんね。
木製の門があったようです。
インカ道に続く橋でインカ橋と言います。
ワイナピチュから見るマチュピチュ
ワイナピチュはマチュピチュ後方にある2,705mの峰で、マチュピチュが老いた峰に対して、ワイナピチュは若い峰という意味です。
このワイナピチュには、月の神殿や名前はわかりませんが神殿がいくつかあります。地球の歩き方には月の神殿は進入禁止と書いていましたが、実際には行けると思います。
ワイナピチュは毎年何人か落ちて死傷者が出ているので、ツアーでは登れない可能性があります。
ワイナピチュは入場無料ですが、入口で署名することになります。入場者と退場者の把握することが主な目的です。
記帳を済ませたらワイナピチュに出発できますが、階段を道なりに進むためコースを外れない限り道迷いや滑落はありません。所要時間も45分~1時間くらいです。
長い石段が少しキツイですが、絶景が待っています。ここから見えるマチュピチュは、コンドルが飛ぶように見えて壮大です。