まいぷら

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アユタヤ王朝と王宮跡

タイ・アユタヤのワット・ナープラメーン

アユタヤ王朝は、14世紀にチャオプラヤ川中流に建国しました。王宮が置かれたアユタヤは、チャオプラヤ川から海洋に進出して外国と交易を行う国際交易都市として繁栄し、日本からも朱印船貿易で日本人町が築かれ、山田長政などはアユタヤの傭兵として活躍しました。アユタヤは400年も長きに渡り栄華を誇りましたが、18世紀にビルマ・コンバウン朝の侵攻により滅亡しました。

アユタヤ王朝

1351年にチャオプラヤ川中流のアユタヤを中心にウートン王がアユタヤ朝を出現させました。スコータイ朝を併せビルマやカンボジアとも争い、1431年にはカンボジアのアンコール朝の都アンコールを占領して領土を広げました。

ウートン王

タイ・アユタヤのウートン王像アユタヤ王朝を建国しました

アユタヤ王宮跡

タイ・アユタヤのアユタヤ王宮跡かつてアユタヤ王宮がありました

このころのタイ人の国家はシャムと呼ばれていました。1569年にはビルマのタウングー朝に侵攻され15年間その支配を受けましたが、16世紀末には独立を回復すると逆にビルマに侵攻しています。

ムアンボーラーン

タイ・アユタヤのムアンボーラーン初期アユタヤ王宮を忠実に再現しています

日本人義勇軍行進図

タイ・アユタヤの日本人義勇軍行進図アユタヤ日本人町の山田長政が活躍しました

アユタヤはチャオプラヤ川を通じた国際交易都市として栄えました。17世紀にはポルトガルやオランダ、中国との交易のほか、朱印船貿易で日本人も訪れて日本町が作られました。タイの日本人はビルマとの戦闘にも参加して山田長政などが活躍してアユタヤ王朝から爵位をもらいました。1767年にビルマ・コンバウン朝はアユタヤに侵入し、長期戦のうえアユタヤは破壊されてアユタヤ朝は滅亡しました。

ワット・プラ・シーサンペット

ワット・プラ・シーサンペットはアユタヤ王宮の付属寺院でした。1491年に建立され、1500年には高さ16メートルの黄金に覆われた仏像も建立されましたが、 ビルマの侵攻により破壊され、現在はセイロン様式の仏塔(チェディ)が並んでいるに過ぎません。

ワット・プラ・シーサンペット

タイ・アユタヤのワット・プラ・シーサンペットアユタヤ王宮の付属寺院です

ワット・プラ・シーサンペット

タイ・アユタヤのワット・プラ・シーサンペットセイロン様式の仏塔(チェディ)が並びます

ワット・プラ・シーサンペットは、王の礼拝堂として王族の儀式に使用され、3人の王の遺骨が納められています。チェディの階段を登り入口まで到着すると、破壊された建造物跡や柱の跡などが良く見えます。

ワット・プララーム

ワット・プラ・ラームは、1369年に第2代アユタヤ王ラームスエンにより建てられたクメール様式の寺院です。アユタヤ王朝初代ウートン王により造営されたブン・プラ・ラーム池の近くにあり、ウートン王の葬儀が営まれて遺骨も納められました。

ワット・プララーム

タイ・アユタヤのワット・プララームブン・プラ・ラーム池にあります

ワット・プララーム

タイ・アユタヤのワット・プララーム初代ウートン王の遺骨が納められます

クメール様式のトウモロコシ型の塔堂を中央に、本堂そして7つの礼拝堂の跡が残りますが、1767年にビルマの侵略により完全に破壊され、ほぼ全ての仏像はビルマにより首が切り落とされています。なお、ワット・プララームの入場料は3050バーツです。

ワット・ナープラメーン

ワット・ナープラメーンは、アユタヤ王宮跡の北側対岸にある寺院です。13世紀に王の火葬場に建てられた寺院で、ビルマ・コンバウン朝の侵攻ではビルマ軍の拠点となりました。ビルマ軍はアユタヤを完全に破壊しましたが、拠点であったワット・ナープラメーンは奇跡的に破壊を免れました。

ワット・ナープラメーン

タイ・アユタヤのワット・ナープラメーンアユタヤ王の火葬場に建てられた寺院です

ワット・ナープラメーン

タイ・アユタヤのワット・ナープラメーンビルマ軍の拠点で奇跡的に破壊を免れました

ワット・ナープラメーンには、ガルーダに乗るヴィシュヌ神のレリーフなどが当時のまま残されていますが、寺院全体は傷みが激しかったため、15世紀にラーマ4世が修復して現在に至ります。

ワット・ロカヤスタ

ワット・ロカヤスタ(ワット・ロカヤ・スターラーム)は、アユタヤ西方にある全長28メートル、高さ5メートルの巨大な涅槃像です。観光バスが入れるくらい大きな草原に安置され、その周りには出店が多く立ち並んでいます。

ワット・ロカヤスタ

タイ・アユタヤのワット・ロカヤスタ広大な敷地に巨大な涅槃像が安置されます

ワット・ロカヤスタ

タイ・アユタヤのワット・ロカヤスタ穏やかな表情でアユタヤの栄枯盛衰を見つめています

ワット・ロカヤスタは1956年にタイ芸術局が復興されたもので、現在でも大事に扱われて胴体には黄色い布が掛けられています。今もなお穏やかな表情で400年続いたアユタヤ王朝の栄枯盛衰を見つめ続けています。

まち旅(旅行、観光)の記録

まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。

まち旅(旅行、観光)の記録
住所
Amphur Muang, Ayutthaya 13000
アクセス
アユタヤ駅からトゥクトゥクで10分
営業時間
8:00〜18:00
料金
50バーツ
地図