ファテープル・シークリー
ファテープル・シークリーは、ムガール帝国第3代皇帝アクバルにより建てられました。アクバル大帝は幸運の地としてアグラから遷都しましたが、気候が悪く水不足にも悩まされたため、わずか14年しか使われず捨てられてしまいました。ファテープル・シークリーは当時の面影が手つかずのまま残されている貴重な遺産であることから、1986年に世界遺産に登録されています。
ファテープル・シークリー
ムガール帝国3代皇帝アクバルは世継ぎに恵まれなかったため、この地のイスラム教の預言者シェーク・サリーム・シチュティーに相談したところ王子の誕生を予言されました。翌年に予言通り王子サリーム(のちのジャハーンギール)が誕生したことを記念して、新たな都としてファテープル・シークリーを建造しました。
ファテープル・シークリーは5年かけて造られましたが、台地の上に建てられたため慢性的な水不足と猛暑に悩まされ、わずか14年でラホールに遷都し廃墟となりました。このためファテープル・シークリーは忘れられた都と呼ばれています。
イスラムの大きな城門です
5階建てのパンチ・マハルが見えます
ファテープル・シークリーは3キロメートル×1.5キロメートルの城壁に囲まれ、内部の建物はイスラム建築とヒンドゥー建築が融合しています。赤砂岩で造られており全体的に茶色い建物が並びます。1986年にファテープル・シークリーとして世界遺産に認定されていますが、ファテープルとは勝利の都市を意味し、アクバルが西インドのグジャラート地方の戦いに勝利したため名付けられたと言われています。
国会議事堂のような役割です
台座の上にアクバルが座っていました
内部の片隅にあるディーワーネ・ハース(内謁殿)は政治が行われた場所です。内部は吹き抜けになっており、彫刻が施された中央の台座にアクバル大帝が座り臣下が議論する内容を聞いて政治を執り行っていました。
ファテープル・シークリーで特に大きな建物であるパンチ・マハルは5階建ての建物でアクバル皇帝が夕涼みに使いました。パンチ・マハルの前は広場になり、広場には碁盤目のような線が引かれています。この広場では人を駒にしてチェスを楽しんでいました。
アクバル大帝がチェスを楽しんでいました
アクバル大帝が冬に住まいとしていました
ジェド・バーイ殿はアクバル大帝と妃が住んでいた建物です。夏の宮殿と冬の宮殿が向かい合わせに建てられています。どちらも似たような建物ですが、夏の宮殿の屋根にはトルコ石が施されていて青色になっているのが特徴です。
天井はトルコ石で造られています
柱と屋根だけが残されています
アクバル大帝の寝室は柱と屋根が残されています。寝室の目の前には人工池が造られ雨水が貯められていました。蒸し暑い地域なので、アクバルの寝室には床に水が貯められ、その上にベッドを置いていました。
雨水が貯められていました
アクバル大帝の妃の母が住んでいました
ミリアムの館はアクバル大帝の妃の母親が住んでいました。かつては金箔が貼られていましたが今では石がむき出しです。どの建物もそうですが、建物は風が通るようにオープンな造りになっており、当時は窓にすだれが掛けられていました。