尼連禅河とスジャータ・ストゥーパ
仏教を開いたお釈迦様はブッダガヤにある菩提樹の下で悟りを開かれます。それまで苦行を重ねていましたが悟りを開くことができずナイランジャナー川(尼連禅河)で沐浴をします。そこに現れた村娘スジャータから乳粥の供養を受け、これにより体力を取り戻したお釈迦様はブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開くことになります。
ナイランジャナー川(尼連禅河)
お釈迦様は出家してから二人の仙人を訪れますが、これらが本当の救いではないと感じて5人の仲間とともに前正覚山で6年間苦行を行います。しかし、どんなに厳しい苦行をしても悟ることができず、お釈迦様は山を下りてナイランジャナー川(尼連禅河)で沐浴してガジュマル(ベンガルボダイジュ)の樹下に座り瞑想を行いました。
お釈迦様が沐浴したところです
スジャータはセーナ村の長者の娘と言われます
スジャータはセーナ村の長者の娘で、男の子に恵まれるようにガジュマルの樹に毎日祈りを捧げていました。この日も同じように乳粥を供えるため召使のプンナとともにガジュマルの樹に赴きましたが、そこには瞑想するお釈迦様がいました。
苦行によりやせ細っていたお釈迦様の姿を見て、スジャータはお釈迦様に乳粥を供養しようとしますが、お釈迦様は断食中の身として最初はこれを断りました。しかし「琴の弦はきつく締めすぎると切れてしまうが、緩く締めると音が悪い。琴の弦は適度に締めるのが望ましい。」とのスジャータの歌を聴いて、お釈迦様は乳粥の供養を受けられます。
苦行を共にしていた5人の修行者は、お釈迦様がスジャータから乳粥の供養を受けたことを見て、お釈迦様が苦行を捨てたと失望してサールナートへ離れて行きました。しかし、体力を回復されたお釈迦様はブッダガヤの菩提樹の下に訪れ、悟るまで菩提樹の下を離れないという強い決意の下、悟りを開かれることになります。
スジャータ・ストゥーパ
スジャータ・ストゥーパは、8~9世紀頃のグプタ王朝からパーラ王朝に掛けて造られました。お釈迦様に乳粥を供養したスジャータが住んでいた家に建てられたと言われています。スジャータは牛飼いの長者の娘であり高価な乳粥を供養することができた家柄であるため、かつては大きな屋敷があったと思われます。
スジャータの家がありました
お釈迦様が苦行を行ったところ
スジャータ・ストゥーパからは、草原が広がる先にお釈迦様が苦行を重ねた前正覚山を眺めることができます。かつて苦行を終えられたお釈迦様は長い距離を歩いてこの地に赴かれました。