ラーマバール・ストゥーパ(荼毘塚)
ラーマバール・ストゥーパ(荼毘塚)はパリニッバーナ寺院(涅槃堂)から東に約1.5キロメートル離れたところにあります。お釈迦様が入滅されたあと在家の人々によって火葬さた場所であり、お釈迦様のご遺骨(仏舎利)を分けたところでもあります。
ラーマバール・ストゥーパ(荼毘塚)
お釈迦様が入滅された七日後、お釈迦様は在家の方々により火葬されることになりました。お釈迦様のご遺体は真綿と絹で何重にも包まれ、白檀の高木を組んだ上に安置され火葬されたといわれています。葬儀は在家信者に任されていたことから、この地の王や貴族がご遺体に火をつけようとしても燃えることはなく、遅れて到着した大迦葉尊者が右繞をすると自ずと炎は燃え上がったといわれています。
レンガ造りのいびつな仏塔です
仏塔の南側には仏教寺院の跡が残されています
お釈迦様が荼毘に伏された場所は、いびつな形の仏塔が建てられています。この仏塔はラーマバール・ストゥーパと呼ばれ、高さ15メートル、直径34メートルあるレンガ造りで、この仏塔の南側には寺院の遺構が残されています。
お釈迦様が荼毘に伏されると、お釈迦様にゆかりのある人々はご遺骨(仏舎利)を手に入れようと争いが起こりそうになります。この時にバラモンのドローナが現れ、仏舎利を八等分してお釈迦様ゆかりの国々に分けられました。さらにアショカ王の時代になると、お釈迦様の遺骨は8万4千の仏舎利塔に配布されることになります。
荼毘に伏されたあとクシナガラから南に250キロメートルほど離れたラージギルにある竹林精舎に移動したアーナンダは、第一結集を行いお釈迦様の説法を取りまとめ、第一結集に参加した500人の羅漢が世界中に散らばり仏教を広めたと言われます。
線香と花が供えられています
お釈迦様が最後に沐浴された川です
荼毘塚の北側には最後に沐浴をされたヒラニヤバティー川があります。ガートが整備されたこともあり、地元の人々が火葬する姿を見かけるようになりました。